タグ: そば

  • 油脂は麺に使われていた。それでも「油結び」は何を変えたのか――粗挽き十割蕎麦と製麺技術の接点

    油脂は麺に使われていた。それでも「油結び」は何を変えたのか――粗挽き十割蕎麦と製麺技術の接点

    前の記事で、僕は「油結び」が生まれるまでの道のりを書いた。

    フランスの蕎麦粉と、フランスの水で、十割蕎麦を打ちたい。

    小麦粉を使わず、熱にも頼らず、その土地の蕎麦を、その土地で麺にしたい。

    その試行の中で、油と水を先に十分に撹拌し、その液体を粗挽き蕎麦粉100%の水回しに用いる現在の方法へたどり着いた。僕はこの方法を「油結び」と名づけた。

    しかし、発表するなら、自分の経験だけを書いて終わってはいけない。

    過去に同じことをした人はいなかったのか。

    蕎麦職人ではなく、製麺所の側から見たら、すでに行われていることではないのか。

    この問いから、もう一度調べ直した。

    麺に油脂を使う技術は、すでに存在していた

    調査すると、製麺業界には油脂、粉末油脂、乳化油脂を麺へ利用する技術が以前から存在することが分かった。

    目的は、乾燥防止、べたつき防止、ミキシングの均一化、柔軟性や食感の調整、麺のほぐれ、保存性、製造上の作業性などである。

    製麺用の業務資材には、乳化油脂を「こね水に溶解使用」するものが公開されている。特許資料にも、水中油型乳化油脂を、うどん、そば、中華麺などの製造や品質改良に利用する記録がある。

    また、そば粉60%、小麦粉40%の原料へ粉末油脂を加え、乾そばを製造した実施例も確認できた。学術資料にも、乾めんの生地へ乳化油脂を加え、物性への影響を測定した研究がある。

    つまり、ここは正直に記録しなければならない。

    「麺に油を使う」という考えそのものは、新しくない。

    油脂が生地の状態や麺の物性を変えることも、製麺の世界では以前から研究されてきた。

    この発見は、僕の油結びを弱くするものではなかった。

    むしろ、何が同じで、何が違うのかを考える、新しい角度を与えてくれた。

    製麺技術と「油結び」は、目的と構造が違う

    確認できた製麺技術の多くは、加工された乳化油脂、粉末油脂、乳化剤などを利用し、機械製麺の安定、保存、ほぐれ、作業性、食感の改良を目的としている。また、そばの実施例でも小麦粉を配合したものが確認できる。

    一方、高ので実践している油結びは、次の条件を持つ。

    ● 原料の中心は、粗挽きの蕎麦粉100%である。

    ● つなぎの小麦粉を使わない。

    ● 打つときに蕎麦粉を加熱しない。

    ● 製麺用の乳化油脂や乳化剤ではなく、食用の植物油と水を使う。

    ● 油を粉へ直接入れるのではなく、油と水を先に十分に撹拌する。

    ● 撹拌によって油を細かく乳化・分散させた状態の仕込み水を、水回しに用いる。

    ● 機械による量産ではなく、人の手で粉の状態を読み、延し、切る。

    ● 保存性や量産性ではなく、粗い蕎麦の粒を残したまま、乾燥やひび割れを抑え、麺として結ぶことを目的とする。

    ここでいう「乳化・分散」は、乳化剤を使って長期間安定させた工業的な乳化油脂と同じ意味ではない。油と水だけを撹拌しているため、時間がたてば分離し得る。一時的に油滴を細かく分散させ、その状態で粉全体へ届けることが重要だと考えている。

    油結びは、油で蕎麦を固める技術ではない。

    油だけを蕎麦へ混ぜる技術でもない。

    水回しへ油の働きを持ち込み、粗挽き十割を手打ちのまま結ぶための再構成である。

    工業製麺の知恵を、蕎麦職人の手へ戻す

    製麺所は、安定して大量に麺を作るため、油脂の働きを研究してきた。

    僕はそれを知らず、フランス産蕎麦粉100%を麺にするために、手で試行を始めた。

    最初は、菊練り後や角出し後の生地を、油のついた手で撫でた。粗挽き生地の表面を乾燥やひび割れから守れないかと考えたからである。

    次に、冷やした蕎麦湯と油を合わせた。

    その後、蕎麦湯を使わず、水と少量の油を先に撹拌し、粉全体へ均一に届ける現在の方法へ進んだ。

    あとから製麺技術の資料を知り、油脂が麺の生地へ働くという自分の感触に、すでに別の世界から研究されていた根があることを知った。

    けれど、そこで終わりではない。

    工業製麺の目的と、僕の目的は違う。

    僕が残したいのは、均一で扱いやすい麺を大量に作る方法ではない。

    殻ごと挽いた粉を削らない。

    粗い粒を取り除かない。

    熱で蕎麦の性質を先に変えない。

    蕎麦らしい香りと、黒さと、ザクザク噛む力を残したまま、細く、しなやかに、すすれる麺へ導く。

    工業製麺に存在した油脂利用と、蕎麦職人の水回し。その二つの間に、油結びの現在地が見えてきた。

    現在の油結び

    現在の記録例では、大豆油100ccと水600ccを十分に撹拌し、仕込み水を作っている。

    ただし、これはすべての粉に通用する固定配合ではない。

    蕎麦粉の産地、挽き方、粒度、季節、温度、湿度によって必要な加水は変わる。大切なのは数字だけではなく、油と水を先に撹拌して粉全体へ届け、最後は手で粉の状態を読むことである。

    現在、高のでは細かい蕎麦粉、殻ごと挽いた玄挽き、粗挽き粉を組み合わせた十割でも検証を続けている。粗挽きの割合、麺の太さ、茹で時間、切れ方、しなやかさを、毎朝の蕎麦打ち動画として公開している。

    これは完成品の宣伝ではない。

    技法がどこまで通用するのかを残す、公開実験の記録である。

    油結びの年代記録

    2023年

    フランスから帰る飛行機の中で、次はフランス産蕎麦粉100%と現地の水で十割蕎麦を打つと決め、方法を考え始めた。

    2024年

    日本とフランスで、湯捏ねによる十割蕎麦を試した。フランス滞在中に柔らかなパンと出会い、「バターの量だ」という言葉から、油脂が生地を変えるという感覚を得た。帰国後、油をつけた手で蕎麦生地を撫でる試行を始めた。

    同年夏、ジュリアとミカからクルミ油を受け取った。同年9月、ガレット職人のまろ氏から、ガレット生地にも油を入れるという話を聞き、蕎麦粉と油を組み合わせる自分の試みに確信を持った。

    2025年

    フランスでは引き続き湯捏ねを実践した。帰国後、前日に取って冷やした蕎麦湯と油を使う方法を試し、その後、水と油を先に撹拌して水回しに用いる現在の方法へ発展した。

    現在

    粗挽き蕎麦粉100%を対象に、油と水を撹拌した仕込み水を用いる「油結び」として、工程、配合、麺の状態を記録している。

    過去の一部のYouTube説明欄には、当時の記憶違いによる「2022年考案」という表記が残っている。渡仏歴と公開記録を再確認した結果、正しい年代は、2023年に構想、2024年に試作開始、2025年に現在の方法へ発展である。ここに訂正して記録する。

    現在、確認できている資料

    高の自身による一次記録

    ● 2026年8月20日公開ブログ「油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び」

    ● YouTube「世界と日本を繋ぐ十割蕎麦打ちチャレンジ」

    ● YouTube「誰でも繋がる十割蕎麦打ち 乳化を利用した蕎麦打ち」

    ● YouTube「どなたでも打てる十割蕎麦打ち 乳化を利用した油結び」

    ● YouTubeショート「十割蕎麦打ち #油結び」

    ● SOBA TAKANOの朝の十割蕎麦打ちLIVE、ショート動画

    ● Instagram、Facebookに残る油結び、フランス産蕎麦粉、湯捏ね、粗挽き十割の投稿

    これらは、油結びの新規性を第三者が証明する資料ではない。しかし、高野定義がいつ、どの工程を公開し、どのように方法を変えてきたかを確認する一次記録になる。

    関係を確認できる第三者資料

    ● 坂崎仁紀氏による文春オンラインの継続取材。2026年8月11日の記事は、高のが太く黒いザクザク噛む十割蕎麦を継続していること、粗挽き粉を含む蕎麦、小麦蕎麦、枝豆のまめつゆなど、現在の料理と技術の背景を記録している。

    ● 柴田書店編『蕎麦前とつまみ167品』(2025年)。油結びそのものの資料ではないが、高のを既存の取材店として料理と工程を記録した専門書である。

    現時点では、油結びの技術的新規性や歴史的位置を独立して検証した第三者記事は、まだ成立していない。

    製麺技術の先行資料

    ● 製麺用乳化油脂を、こね水に溶かして使う業務用品の公開資料

    ● 水中油型乳化油脂を、そばを含む麺類の品質改良へ用いる特許資料

    ● そば粉60%、小麦粉40%、粉末油脂を用いた乾そばの特許実施例

    ● 水中油型乳化物が麺生地の均一な混練などへ働くことを記した特許資料

    ● 乳化油脂を添加した乾めんの物性を測定した食品科学の研究

    これらは「麺と油脂」の先行例である。しかし、現在確認した範囲では、食用植物油と水を先に撹拌し、その乳化・分散状態を粗挽き蕎麦粉100%の水回しへ用い、無加熱で手打ちするという、高のの油結びと全条件が一致する公開例は見つかっていない。

    ただし、これは世界初の証明ではない。

    公開検索で見つかっていないことと、歴史上存在しなかったことは同じではない。

    これから確認したいこと

    僕が求めているのは、「最初だった」と褒めてもらうことではない。

    次の問いに、資料と実験で答えたい。

    1. 江戸期以前から現代まで、蕎麦粉へ油を加えて生地を結び、延し、切った記録はあるか。

    2. 油と水を撹拌、乳化または分散させた液体を、十割蕎麦の水回しへ用いた先例はあるか。

    3. 製麺所、乾麺、即席麺で使われる乳化油脂と、食用油と水だけを使う油結びでは、生地内部で何が違うのか。

    4. 通常の水ごね、湯捏ね、油結びで、粗挽き十割の切断率、延展性、茹で上がり、香り、食感はどう変わるか。

    5. 粗挽きの割合や粒度を変えても、別の職人が再現できるか。

    先例があれば、名称、年代、地域、文献を知りたい。

    それは油結びを否定するものではない。失われた技法とのつながりが見つかるなら、新しい蕎麦史になる。

    先例が確認できなければ、現代の粗挽き十割手打ちとして、複数の職人、製粉会社、製麺技術者、料理史・蕎麦史の研究者による比較検証が必要になる。

    「世界初」ではなく、調べられる発表へ

    僕は、油結びを「日本初」「史上初」「世界初」とは書かない。

    今、言えるのはここまでである。

    麺に油脂を使う技術は、製麺業界に以前から存在した。

    その一方で、食用油と水を先に撹拌し、添加物・熱・小麦粉に頼らず、粗挽き蕎麦粉100%の水回しに使う手打ちの公開例は、現在確認した資料の中では見つかっていない。

    油結びは、既存の油脂利用をそのまま持ち込んだものではなく、粗挽き十割蕎麦を削らず、熱を使わず、人の手で麺にする目的へ再構成した試みである。

    新しい発見があれば、この記録は更新する。

    間違いがあれば、日付を残して訂正する。

    先人がいれば、敬意をもって名前を記す。

    発表とは、大きく言い切ることではない。

    後から来た人が調べられるように、問いと資料と工程を残すことだと、僕は考えている。

    油結びは、完成した答えではない。

    蕎麦を削らず、蕎麦らしいまま麺にするための、公開された問いである。

    高野定義
    SOBA TAKANO
    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の

    公開資料・参照先

    高のの公開記録

    油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    世界と日本を繋ぐ十割蕎麦打ちチャレンジ

    誰でも繋がる十割蕎麦打ち 乳化を利用した蕎麦打ち

    どなたでも打てる十割蕎麦打ち 乳化を利用した油結び

    十割蕎麦打ち #油結び

    第三者資料

    坂崎仁紀「十割蕎麦職人がつくる“つけ麺”が絶品…!」文春オンライン、2026年8月11日

    ● 柴田書店編『蕎麦前とつまみ167品』柴田書店、2025年、38–43頁、ISBN 978-4-388-06391-8。

    製麺・油脂利用の先行資料

    日本コロイド「製麺用改良剤」

    水中油型乳化油脂組成物 JP3477785B2

    麺の製造法 JP2717226B2

    即席ロングライフ麺用改良剤組成物 JP2001061422A

    三木英三ほか「乾燥中のめんの物理的性質に及ぼす加工条件の影響」『日本食品科学工学会誌』43巻5号、1996年

  • 油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    フランスの蕎麦粉と、フランスの水で、十割蕎麦を打ちたい。

    油結びは、その夢から始まった。

    小麦粉を加えず、蕎麦粉100%で打つ。

    日本から蕎麦粉を持って行くのではない。

    その土地で育った蕎麦を、その土地の水で結ぶ。

    それが、僕の考える「地蕎麦」である。

    ■2023年、帰りの飛行機で決めたこと

    2023年、フランスでの活動を終え、日本へ帰る飛行機の中で、僕は次の挑戦を決めていた。

    次は、フランス産蕎麦粉100%と、現地の水だけで十割蕎麦を打つ。

    日本の蕎麦粉を持って行って打つのではない。

    フランスの土地で育った蕎麦を、フランスの水で結ぶ。

    粉も、水も、空気も違う。

    日本で打つ十割蕎麦と、同じようにはいかないだろう。

    それでも、小麦粉には頼りたくなかった。

    帰りの飛行機の中から、次の試行は始まっていた。

    ■2024年、湯捏ねで挑んだ

    2024年、僕はフランス産蕎麦粉100%の十割蕎麦に、湯捏ねで挑んだ。

    日本にいるときから湯捏ねを繰り返し、フランスでも実践した。

    ロバートでの二週間。

    ジャパンエキスポSUD。

    熱の力を借りれば、フランス産蕎麦粉100%でも麺としてつなげることができた。

    湯捏ねは、間違いではなかった。

    フランスの蕎麦粉に向き合うために必要だった、大切な技術である。

    けれど、打てることと、その蕎麦粉を十分に活かすことは同じではなかった。

    熱を利用すれば、麺はつながる。

    その一方で、蕎麦の香りや、粗挽き粉のザクザクした力を、十分に残せていないように僕は感じた。

    湯捏ねを否定したのではない。

    湯捏ねで打てたからこそ、次の疑問が生まれた。

    熱を使わず、小麦粉も加えずに、フランスの蕎麦粉を結ぶことはできないだろうか。

    ■フランスで出会った、柔らかなパン

    2024年のフランスで、僕は柔らかなパンに出会った。

    「なぜ、こんなに柔らかいのか」

    そう尋ねると、返ってきた答えは、

    「バターの量だ」

    だった。

    その言葉が、帰国する前から頭のどこかに残っていた。

    油脂は、生地を変える。

    ならば、小麦粉を使わない十割蕎麦にも、油脂を利用できるのではないか。

    まだ「油結び」という名前も、明確な方法もなかった。

    ただ、その発想の輪郭は、フランスで生まれ始めていた。

    ■名前のない試み

    帰国後、僕は油を使った蕎麦打ちを試し始めた。

    最初から、油と水を攪拌する現在の方法だったわけではない。

    まず、水回しを終え、菊練りをしたあとの生地を、油のついた手で撫でた。

    角出しをした生地の表面も、薄く油で撫でた。

    油で蕎麦を固めようとしたのではない。

    粗挽きの十割蕎麦は、延す途中で表面が乾き、細かなひびが入り、そこから切れてしまうことがある。

    その弱い表面を、油で守ることはできないだろうか。

    油をつけた手で撫でると、生地の表面が落ち着いた。

    延したときの感触も変わった。

    粗い蕎麦粉の粒を残したまま、生地が前へ進もうとする。

    「これは、いけるかもしれない」

    理屈が先にあったのではない。

    最初にあったのは、手に残った感触だった。

    ■油結びの始まりは、粘土と漆喰だった

    僕の頭にあったのは、料理だけではなかった。

    粘土。

    漆喰。

    粘土を扱ったときの感触。

    漆喰の表面を、職人が何度も手で撫でながら仕上げていく姿。

    僕の中には、油が素材の表面を整え、乾燥やひび割れから守るという感覚が残っていた。

    蕎麦の生地も、油のついた手で撫でたらどうなるだろう。

    それが、最初の試みだった。

    粘土、漆喰、そして蕎麦。

    別々に見えていた経験が、少しずつ一つにつながり始めた。

    ■そばがきと、乳化させたいドレッシング

    もう一つの原点は、そばがきだった。

    蕎麦粉と水が変化していく様子を、そばがきを作りながら何度も見てきた。

    さらに料理の中では、油と水分を分離させず、乳化したドレッシングにしたいと考えていた。

    蕎麦粉。

    水。

    油。

    それぞれ別に考えていたものが、頭の中で少しずつ結びついていった。

    油を粉へ直接入れるだけでは、粉全体へ均一に届かない。

    油を水へ入れるだけでも、すぐに分離する。

    それなら、油と水を先に十分に攪拌し、油を細かく乳化・分散させた状態で蕎麦粉へ届けたらどうなるのか。

    そこから、現在の油結びへつながる試行が始まった。

    ■フランスから届いたクルミ油

    2024年の夏、来日したジュリアとミカちゃんから、フランス土産としてクルミ油をもらった。

    オリーブオイルだけではない。

    その土地の油を使えば、その土地の蕎麦と水を結ぶことができる。

    蕎麦粉、水、油。

    それぞれが同じ土地のものであれば、そこに新しい「地蕎麦」が生まれるかもしれない。

    油は、単なる補助材料ではない。

    土地と土地を結ぶ存在にもなり得る。

    その考えが、少しずつ形になっていった。

    ■2024年9月、確信した日

    2024年9月、ガレット職人のまろさんが来日した。

    その頃、僕はすでに、名前のないまま油を使った蕎麦打ちを試していた。

    けれど、公にはしていなかった。

    フランス産蕎麦粉を使うときには、その土地のオリーブオイルを使うことも一つの演出として話せた。

    しかし、日本の蕎麦粉へ油を使うことには、蕎麦職人として、どこか後ろめたさがあった。

    これは十割蕎麦と言ってよいのだろうか。

    蕎麦から逃げていることにならないだろうか。

    僕は、まろさんに尋ねた。

    「ガレットの生地に、油を入れますか」

    まろさんは、

    「入れる」

    と答えた。

    もちろん、ガレットと蕎麦は違う。

    まろさんと僕の方法も同じではない。

    けれど、蕎麦粉の性質を知るガレット職人も、生地に油を使っていた。

    蕎麦粉と油を組み合わせることは、決して間違いではない。

    その答えを聞いた瞬間、名前のないまま続けてきた自分の試みに、確信を持った。

    2024年9月は、油結びを突然発明した月ではない。

    続けてきた試みに、初めて確信を持てた月である。

    ■2025年も、フランスでは湯捏ねだった

    2025年、僕は再びフランスで十割蕎麦を打った。

    日本にいるときから湯捏ねを繰り返し、フランスでも湯捏ねによる十割蕎麦を実践した。

    熱の力を利用すれば、フランス産蕎麦粉100%でも麺としてつなげることができる。

    けれど、僕の中には、前年から続く違和感が残っていた。

    打つことはできる。

    しかし、もっと蕎麦を活かす方法があるのではないか。

    熱ではなく、別の方法で結ぶことはできないだろうか。

    その思いを抱えたまま帰国した。

    ■冷やした蕎麦湯と油

    帰国後、最初に試したのは蕎麦湯だった。

    前日に蕎麦湯を取り、冷やしておく。

    その冷たい蕎麦湯と油を合わせ、蕎麦粉へ加えた。

    蕎麦湯に含まれる蕎麦由来の成分と、油と水の乳化・分散を利用できないかと考えたのである。

    これは、湯捏ねのように打つときに熱を加える方法ではない。

    冷ました蕎麦湯を使い、油とともに蕎麦粉へ届ける試みだった。

    結果を確かめながら、次第に方法を変えていった。

    そして、蕎麦湯を使わず、水と油を先に十分に攪拌してから蕎麦粉へ加える、現在の油結びへ進んだ。

    ■感覚を、再現できる技術へ

    手で撫でたら、生地の感触が変わった。

    油を加える順番を変えたら、粉への届き方が変わった。

    油と水を先に攪拌したら、油だけを別に入れたときとは違う生地になった。

    そこで、乳化や油脂の分散に関する調理科学の資料を調べた。

    攪拌の方法。

    攪拌する時間。

    油の割合。

    水の温度。

    粉への届け方。

    油を多く入れればよいわけではない。

    蕎麦の香りや食感を損なわず、粗挽き十割蕎麦の結びを助ける範囲を探す。

    感覚から始まった試みを一つずつ確かめ、繰り返すことのできる技術へ近づけていった。

    ■油結びとは何か

    油結びとは、蕎麦粉へ油を直接混ぜ込むだけの方法ではない。

    水と少量の油を先に十分に攪拌し、油を細かく乳化・分散させた状態で蕎麦粉へ届ける。

    その水で粉全体を均一に潤し、粗挽き蕎麦粉100%の生地を結びへ導く方法である。

    現在の記録例では、油100ccと水600ccを攪拌して仕込み水を作っている。

    ただし、蕎麦粉の産地、挽き方、粒度、季節、湿度によって必要な加水は変わる。

    毎日の加水は、粉の状態を手で確かめながら調整する。

    大切なのは、油の量だけではない。

    油と水を先に攪拌すること。

    粉全体へ均一に届けること。

    最後は、自分の手で粉の状態を読むことである。

    油結びは、油で蕎麦を固める技術ではない。

    粗挽き粉の粒を残し、乾燥やひび割れを抑えながら、蕎麦本来の香りと食感を活かすための試みである。

    ■目指している蕎麦

    目指しているのは、細くて喉越しのよい蕎麦ではない。

    黒くて、太い。

    ザクザク噛む。

    蕎麦という穀物を、歯と身体で味わうための蕎麦である。

    粗挽きの粒を消して、均一で滑らかな麺にするのではない。

    粒を残しながら、麺にする。

    油結びは、そのための技術である。

    ■同じ公開例は、まだ確認できていない

    蕎麦粉を使った麺生地へ油を加えた例が、世界にまったく存在しないわけではない。

    海外には、蕎麦粉、澱粉、サイリウム、油、水などを組み合わせたグルテンフリーのバックウィートパスタもある。

    しかし、それは蕎麦粉100%ではなく、油と水を先に攪拌して粗挽き十割蕎麦の水回しに使う方法とも異なる。

    現在確認できる公開資料の範囲では、

    「水と少量の油を先に攪拌し、乳化・分散させた仕込み水で、粗挽き蕎麦粉100%の手打ち蕎麦を打つ」

    という油結びと同じ実践記録は見つかっていない。

    ただし、世界初とは断定しない。

    もし同じ考えへ先にたどり着いた人がいれば、その記録を知りたい。

    先人がいれば敬意を払い、互いの方法の違いを確かめたい。

    それは、油結びの可能性をさらに深めることになる。

    大切なのは、誰が一番かではない。

    いつ、なぜ考え、何を試し、どのような違いが生まれたのかを、日付の残る形で記録することである。

    ■名前のない試みを、歴史に残す

    油結びは、ある日突然生まれたものではない。

    2023年、フランスから帰る飛行機の中で決めた、次の挑戦。

    2024年、フランスで湯捏ねにより打った十割蕎麦。

    柔らかなパンと、「バターの量だ」という言葉。

    帰国後、油のついた手で蕎麦生地を撫でた、名前のない試み。

    ジュリアとミカちゃんが届けてくれた、フランスのクルミ油。

    まろさんから聞いた、ガレットにも油を入れるという答え。

    2025年、再びフランスで続けた湯捏ね。

    帰国後に試した、冷たい蕎麦湯と油。

    そして、水と油を先に攪拌する現在の方法。

    別々に見えていた経験が、一つずつつながって生まれた。

    理屈が先にあったのではない。

    やってみなければ、分からなかった。

    僕は、やった。

    手で触れ、失敗し、切れ方を見て、もう一度打った。

    その積み重ねに、後から理屈が追いついてきた。

    これが、僕の油結びである。

    2025年から、フランスでの蕎麦打ちワークショップでも、現地の蕎麦粉と向き合いながら、この経験を伝えている。

    油結びは完成ではない。

    粉が変われば、答えも変わる。

    土地が変われば、水も油も変わる。

    だから、この物語はまだ途中にある。

    フランスの蕎麦粉。

    フランスの水。

    フランスの油。

    その土地のものを、その土地で結ぶ。

    僕はこれからも、十割蕎麦という一杯の中に、新しい「地蕎麦」を探し続ける。

    【油結びの年表】

    2023年
    フランスから帰国する飛行機の中で、次はフランス産蕎麦粉100%と現地の水で十割蕎麦を打つことを決意する。

    2024年
    フランスで湯捏ねによる十割蕎麦に挑戦。ロバート、ジャパンエキスポSUDで実践する。

    2024年・フランス滞在中
    柔らかなパンについて尋ね、「バターの量だ」という答えを聞く。油脂が生地を変えるという感覚が残る。

    2024年・帰国後
    小麦粉を使わずにフランス産蕎麦粉を結ぶ方法を考え、油を使った試行を始める。菊練り後や角出し後の生地を、油のついた手で撫でる。

    2024年夏
    来日したジュリアとミカちゃんから、フランス土産のクルミ油を受け取る。蕎麦粉、水、土地の油を結ぶ考えが形になり始める。

    2024年9月
    来日したガレット職人のまろさんへ、生地に油を入れるか尋ねる。「入れる」という答えを聞き、自分の試みに確信を持つ。

    2025年
    日本とフランスで、湯捏ねによる十割蕎麦を続ける。

    2025年・帰国後
    前日に取って冷やした蕎麦湯と油を使う方法を試す。その後、水と油を先に攪拌して粉へ均一に届ける方法へ改良する。

    現在
    水と少量の油を十分に攪拌し、乳化・分散させた仕込み水で、粗挽き蕎麦粉100%を打つ「油結び」として記録と実践を続けている。

    【記録】

    油結びによる十割蕎麦打ちの工程、配合、変化は、YouTube、Instagram、Facebookで継続して公開しています。

    YouTube:SOBA TAKANO
    Instagram:亀戸養生料理 高の
    Facebook:亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の

    検索語:
    油結び
    油結び 十割蕎麦
    油結び 粗挽き蕎麦
    SOBA TAKANO
    フランス産蕎麦粉 十割蕎麦

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう