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  • 【フランス活動記⑤】神社は、あった。|ENSEMBLE――共に

    【フランス活動記⑤】神社は、あった。|ENSEMBLE――共に

    ここまで、2023年に初めてフランスへ渡り、護摩蕎麦を届けるまでを書いてきた。

    けれど、次の年の物語へ進む前に、どうしても書いておかなければならない人たちがいる。

    フランス・ジャパン・コネクション会長のジュリア。

    その夫、ミカちゃん。

    そして、いつも僕の隣にいる妻、オスギ。

    僕のフランス活動は、僕一人の力で作ったものではない。

    三人の仕事がなければ、護摩蕎麦がフランスへ渡ることも、Japan Expo Sudの舞台に立つことも、ディジョンまで蕎麦を運ぶこともなかった。

    これは活動報告ではない。

    僕たち夫婦を信じ、支え、フランスへの道を開いてくれた三人への、心からの感謝状である。

    一枚の鳥居

    コロナ禍が始まった頃、僕はInstagramでフランスのことを探していた。

    「フランス、日本」
    「フランス、神社」
    「フランス、日本食」

    行き先が決まっていたわけではない。ただ、思いつく言葉を入れながら画面を眺めていた。

    その中に、マルセイユの鳥居を描いた一枚の画像が現れた。

    投稿していたのは、フランス・ジャパン・コネクションという団体だった。

    返事は来ないだろうと思いながら、僕はダイレクトメッセージを送った。

    「フランスのマルセイユに、神社があるのですか?」

    すると、返事が来た。

    返信をくれたのが、ジュリアだった。

    返事が来ただけでも驚いた。そのうえジュリアから、

    「一度、オンラインでビデオ会議をしませんか?」

    と誘われた。

    僕のフランス活動は、飛行機に乗った日から始まったのではない。

    一枚の鳥居と、返事は来ないと思いながら送った、一通のメッセージから始まった。

    「あなたは、何ができますか?」

    初めてのオンライン会議。僕は、ずっと気になっていたことを聞いた。

    「マルセイユに、神社があるんですか?」

    ジュリアの答えは、思いがけないものだった。

    「ないです」

    ないのか。

    では、僕がInstagramで見た鳥居は何だったのだろう。おかしいなと思ったけれど、会話はそのまま楽しく続いた。

    そして、もう一つ驚いた。

    ジュリアは、日本語がペラペラだった。

    会話の中で、ジュリアから聞かれた。

    「あなたは、何ができますか?」

    僕は答えた。

    「蕎麦が打てます」

    すべては、その短いやり取りから動き始めた。

    ワークショップだけでは足りなかった

    当時、フランスはまだロックダウンの中にあった。それでも、日本からフランスへ入ることはできた。

    ジュリアから聞かれた。

    「入れるのに、なぜフランスへ来ないのですか?」

    僕は、フランスへ行きたくなかったわけではない。むしろ、行きたかった。

    けれど、僕の夢は蕎麦打ちを教えることだけではなかった。

    東京・亀戸で、夫婦二人で営んできた小さな店の料理。自分で想像し、自分で形にしてきた料理。それを作品として世界へ出すことが、僕の夢だった。

    その夢を、フランスに助けてもらいたいと思っていた。

    だから、一度ワークショップをするだけでは、フランスへ渡る理由として少し足りなかった。

    僕は、そこで足踏みをした。

    「これで、どうですか?」

    それからも、ジュリアとは何度かオンライン会議を重ねた。

    ある日、ジュリアから、すぐにオンラインで話したいと連絡が来た。

    フランスのロックダウンが解除される。そして、マルセイユでJapan Expo Sudが開催される。

    止まっていた時間が、急に動き始めた。

    ジュリアの提案は、一つではなかった。

    Japan Expo Sudでのワークショップ。

    Japan Expo Sudのステージ。

    マルセイユのレストランで料理を出す仕事。

    Sakura Bentoでの蕎麦打ちワークショップ。

    そしてジュリアは、僕に言った。

    「これで、どうですか?」

    蕎麦を教える場所。大勢の人へ技術を見せる場所。そして、自分で考えた料理を、一人の料理人として出せる場所。

    僕がフランスへ渡る理由は、揃った。

    もちろん、答えは「行く」だった。

    けれど、僕からも一つだけ、絶対に譲れない条件を出した。

    「護摩蕎麦をやらせてほしい。それをやらせてもらえるなら、フランスへ行く」

    護摩蕎麦は、日本の古典的な蕎麦料理ではない。

    大豆の呉と黒胡麻を、鰹、昆布、干し椎茸の出汁でのばし、鉄鍋の中で十割蕎麦と合わせる。

    僕が考え、亀戸の小さな店で育ててきた、僕自身の作品だった。

    フランスへ行って、すでに日本にあるものを紹介するだけではない。

    自分が想像し、生み出した料理を世界へ出したかった。

    ジュリアは、その願いに応えてくれた。

    見たことのない料理を信じた人

    ジュリアは、護摩蕎麦を見たことがなかった。もちろん、食べたこともない。

    僕と直接会ったこともなく、僕がどのように蕎麦を打つのかも知らない。

    蕎麦打ちの台も、棒も、鉢も見たことがなかった。

    それでもジュリアは、レストランのオーナーと交渉し、僕が厨房に立つ約束を取りつけた。

    会場を作り、手伝ってくれる人を集め、料理を食べてくれるお客様までつないでくれた。

    一年目の僕には、その仕事の全体が見えていなかった。

    僕に見えていたのは、料理をする当日の厨房だけだった。

    現場には人が足りない。誰が何をするのか分からない。

    僕は料理を完成させなければならない。頭にきた。怒った。

    それも、そのときの僕の本当の気持ちだった。

    けれど、時間が経って分かった。

    その一日を作るために、ジュリアがどれだけの人に連絡し、説明し、交渉し、頭を下げ、話をつないでいたのか。

    僕は、自分の料理を完成させることで精いっぱいだった。

    ジュリアは、その料理を作る場所と、手伝う人と、食べてくれる人まで用意していた。

    二年、三年と時間が経って、僕はようやく、その仕事の大きさに気づいた。

    小さなジャンヌ・ダルク

    2023年、ジュリアと初めて直接会ったのは、マルセイユ・サン=シャルル駅だった。

    オンラインでは何度も話してきたけれど、実際に会ったジュリアは、とても小さかった。

    けれど、その小さな身体で、何人もの人を動かし、僕たちの活動を前へ進めていった。

    決断する。

    交渉する。

    責任を引き受ける。

    問題が起きれば、その真ん中に立つ。

    そして、次の道を切り開く。

    僕には、ジュリアがマルセイユの小さなジャンヌ・ダルクに見える。

    戦うという意味ではない。

    誰も形を知らない仕事を信じ、自分が先頭に立ち、人々を一つの方向へ動かす。

    その勇気と仕事の強さを、僕はそう呼びたい。

    成功者とは、名前が知られた人でも、お金を得た人でもないと思う。

    まだ誰も見ていない可能性を信じ、それが形になるまで人と人をつなぎ、責任を引き受けられる人。

    ジュリアは、僕にとって、そういう成功者である。

    そして僕は、ジュリアの仕事から、女性が仕事の中心に立つことの格好よさと強さを教えてもらった。

    神社は、あった

    駅でジュリアと合流し、そのままSakura Bentoへ向かった。

    店の敷居をまたぎ、奥まで進むと、中庭があった。

    そこに、鳥居があった。

    「これだ!」

    僕は、悲鳴のような声を上げた。

    周りにいたみんなは、何のことか分からない。

    けれど、僕には分かっていた。

    「これだ。僕がInstagramで見たのは、これだ」

    それは神社の建物ではなかった。

    Sakura Bentoの中庭にある、ミカちゃんが手作りした絵馬掛けだった。

    あの画像を見なければ、ジュリアにDMを送ることもなかった。

    ジュリアと出会わなければ、フランスで護摩蕎麦を作ることもなかった。

    神社は、あった。

    建物としてではなく、僕のフランスへの道を開いた、小さくて温かい入口として、そこにあった。

    絵馬は、初めからたくさんあったわけではない。

    僕が日本から送ったものがある。

    自分で持っていったものもある。

    ジュリアが日本へ来たとき、自分で持ち帰ったものもある。

    2026年7月には、赤坂・猿田彦神社の絵馬を送った。

    だから、高野定義にとって、マルセイユのあの場所は「神社のような場所」ではない。

    本当に神社なのである。

    ミカちゃんの仕事

    蕎麦を打つための台と棒を作ってくれたのは、ジュリアの夫、ミカちゃんだった。

    ミカちゃんは、フランスで働く大工さんだ。

    見たこともない日本の蕎麦打ち道具を、僕のために手作りしてくれた。

    ミカちゃんが作った蕎麦台は、今もSakura Bentoで大切に保管されている。

    僕がフランスへ行くたびに、その台で蕎麦を打つ。

    毎年使い、出張先へ行くときにも一緒に連れていく。

    僕はフランス語ができない。

    だけど、分かる。

    ミカちゃんが作った蕎麦台は、角が丸い。

    頼まれた寸法どおりに木を切っただけではない。

    使う人の手を思い、運ぶ人を思い、長く使う未来を思って、角を丸くしてくれた。

    人の仕事には、その人の心が残る。

    ミカちゃんとは毎年会う。

    そしてミカちゃんは、毎年、同じことを聞く。

    「この台は、大丈夫か?」

    僕も毎年、同じように答える。

    「最高だ」

    それだけでいい。

    僕たちには、それで十分伝わっている。

    ミカちゃんは、なんか、天才だ。

    何でもできてしまう。

    けれど、本当にすごいのは、できることを自慢するのではなく、誰かのために黙って使うところだと思う。

    ディジョンまで、夢を運んでくれた人

    ミカちゃんが支えてくれたのは、蕎麦台だけではない。

    ディジョンへ向かう長い高速道路を、ミカちゃんが運転してくれた。

    蕎麦打ちの道具も、重い荷物も、車に積んで運んでくれた。

    僕がフランスで蕎麦を打つためには、粉と水と技術だけでは足りない。

    道具を運び、人を運び、次の町まで連れていってくれる人が必要だった。

    高速道路の写真に写っているのは、ただの移動風景ではない。

    あの道の先まで、ミカちゃんが僕たちのフランス活動を運んでくれた記録だ。

    ミカちゃんは「蕎麦台を作った人」だけではない。

    僕の料理と荷物、そして夢を、実際に運んでくれた人だ。

    オスギが、僕の隣にいる意味

    僕は一人でフランスへ来たのではない。

    いつも僕の隣には、オスギがいる。

    蕎麦を打つ僕のそばで、言葉をつなぎ、人をつなぎ、現場の空気を受け止める。

    Japan Expo Sudの舞台でも、僕の言葉を手に持ち、僕とフランスの人たちの間に立ってくれた。

    僕が料理だけを見て前へ進めるのは、オスギが周りの人と心をつないでくれているからだ。

    夫婦二人で営む亀戸の小さな店。

    その形は、フランスへ来ても変わらなかった。

    僕のフランス活動は、高野定義一人の挑戦ではない。

    最初から、僕たち夫婦の仕事だった。

    ジュリアがフランス側から道を開き、オスギが僕の隣で人と人をつないだ。

    立場も国も違う二人の女性が、それぞれの場所で仕事の中心に立ち、周りへ光を渡してくれた。

    僕は、オスギのことを「アメノウズメ」と呼んでいる。

    天岩戸によって世界が真っ暗になり、皆が沈んでいたとき、一人で踊り、笑いを起こし、光を取り戻すきっかけを作った日本の神様。

    暗いときに、自分が光になる。

    僕にとって、最高の女性だ。

    その名は、アメミ

    2026年、ジュリアとミカちゃんに、新しい命が授かった。

    ある日、ジュリアとカフェで話していた。

    「男の子の名前は決めています。でも、女の子の名前はまだ決まっていません。高野さん、何かありませんか?」

    僕は、オスギとアメノウズメの話をした。

    そして2026年、女の子が生まれた。

    ジュリアは、その子に「アメミ」と名づけた。

    どうやら、あの日に話したアメノウズメから取ったらしい。

    本当に、つけちゃった。

    嬉しいような、困ったような。

    どう受け止めればいいのか分からないほど、不思議で、ありがたい。

    僕はまだ、アメミに会っていない。

    いつか会える日が来たら、伝えたい。

    あなたの名前が生まれた場所には、暗闇の中でも踊り、笑いと光を取り戻した、日本の女性の神様がいるんだよ、と。

    一枚の鳥居から始まった僕たちの物語に、光を呼ぶ女の子が生まれた。

    その名は、アメミ。

    まだ会ったことのない、僕たちの新しい家族だ。

    ENSEMBLE――共に

    2026年、フランスへ出発する前、僕は手の甲に書いた。

    「12日 アンサンブル」

    忘れてはいけない日付と、忘れてはいけない言葉だった。

    ensemble――共に。

    それは、きれいな標語ではない。

    ジュリアが舞台を作る。

    ミカちゃんが道具を作り、荷物と人を運ぶ。

    オスギが言葉と心をつなぐ。

    僕が蕎麦を打ち、料理を作る。

    誰か一人が欠けても、この仕事は成立しない。

    一人の成功ではなく、互いの仕事を尊重し、それぞれの力を持ち寄って、一つの仕事を完成させる。

    その姿を表す言葉が、ensembleだった。

    成功者とは

    僕はフランスで、成功者の意味を考えるようになった。

    成功者とは、有名になった人ではない。

    お金をたくさん持っている人でもない。

    誰かの可能性を信じられる人。

    見えないところで交渉を重ねられる人。

    自分の技術で、必要なものを作れる人。

    重い荷物と一緒に、誰かの夢まで運べる人。

    言葉や国の違いを越えて、人と人をつなげられる人。

    他人の成功を、自分の仕事として支えられる人。

    僕にとって、ジュリアも、ミカちゃんも、オスギも、そういう成功者だ。

    僕が舞台に立ち、蕎麦を打っている写真だけを見れば、主役は僕に見えるかもしれない。

    けれど、本当の主役は、写真の外側にもいる。

    舞台を作った人。

    道具を作った人。

    運んだ人。

    言葉をつないだ人。

    笑顔で迎えてくれた人。

    その全員がいて、初めて僕は蕎麦を打つことができた。

    心から、ありがとう

    ジュリア。

    会ったこともなかった僕に返事をくれて、まだ見たこともない護摩蕎麦を信じ、料理人として立つ場所を作ってくれて、本当にありがとう。

    あなたが何年も続けてきた交渉と、人をつなぐ仕事の大きさを、僕は時間が経ってから、ようやく理解した。

    ミカちゃん。

    蕎麦台と棒を手作りし、毎年その台を気にかけ、重い荷物と僕たちをディジョンまで運んでくれて、本当にありがとう。

    あなたが丸く仕上げた蕎麦台の角には、あなたの仕事と心が残っている。

    オスギ。

    亀戸の店でも、フランスでも、いつも僕の隣に立ち、僕が料理だけを見ていられるように、人と人の間をつないでくれて、本当にありがとう。

    僕のフランス活動は、あなたと二人で作った仕事です。

    一枚の鳥居から始まった縁は、護摩蕎麦、Japan Expo Sud、手作りの蕎麦台、ディジョンへ続く道、そしてアメミという新しい命へつながった。

    来年、僕たちがどこで、どのような仕事をするのかは、まだ分からない。

    けれど、一つだけ分かっている。

    僕は一人では行かない。

    これからも、互いの仕事を尊重し、同じ方向を向き、共に作る。

    ENSEMBLE――共に。

    それが、僕たちの合言葉である。

  • 蕎麦屋のラーメン?――小麦蕎麦 宣言

    蕎麦屋のラーメン?――小麦蕎麦 宣言

    蕎麦屋のラーメン?

    そう見えるかもしれません。

    けれど私は、ラーメンを作ろうとして始めたわけではありません。

    ラーメンの本質を知るおこがましさは、ございません

    いつものように、粉を選び、
    いつものように、水を入れ、
    いつもの手で打っただけです。

    ただ、蕎麦粉ではなく、
    国産小麦を打った。

    手が決めた、加水率55%

    十割蕎麦を打ち続けて十四年。

    その間に覚えたのは、数字に手を合わせることではなく、
    粉と水の間に生まれる、わずかな違和感を探ることでした。

    小麦にも、手の感覚だけで水を入れました。

    生地が心地よいところで止め、
    あとから測ってみると、加水率は55%。

    55%を目指したのではありません。
    手が選んだ場所が、55%だったのです。

    十四年連れ添った、出汁とかえし

    麺が小麦に変わっても、
    出汁は、いつもの蕎麦出汁です。

    鰹、昆布、干し椎茸。

    つゆには、十四年間連れ添ってきた「かえし」を使います。

    新しい料理を始めるときにも、
    困ったときにも、
    ここへ戻れば安心できる。

    高のにとって、信用のある味です。

    違うのは、新鮮な鶏油を加えること。

    それだけで、いつもの蕎麦出汁に、
    小麦を迎えるための温かさと香りが生まれます。

    出汁を冷まさず、小麦を生かす

    温かい出汁へ、麺を沈めたままにはしません。

    出汁を冷まさず、
    小麦の香りと手打ち麺の食感を生かすため、
    一口ずつ、つけていただく。

    これは、十割蕎麦を最後まで温かく味わうために、
    高のが続けてきた「鍋蕎麦」の様式です。

    ラーメンの食べ方を借りたのではない。

    蕎麦屋が、自分の道具と技術と味をたどったら、
    この形になりました。

    もう一つのつゆ、まめつゆ

    温かい蕎麦出汁と並ぶのは、
    冷たい「まめつゆ」です。

    大豆をすり、蕎麦つゆと合わせる。

    日本の郷土料理「呉汁」から生まれた、
    高ののGODJIRU STYLE。

    温かい一汁と、冷たい一汁。

    二つのつゆを行き来しながら、
    小麦の甘み、香り、余韻を味わっていただきます。

    変わったのは、粉だけ

    出汁も、かえしも、道具も、食べ方も、
    十四年間積み重ねてきた蕎麦屋の仕事です。

    変わったのは、
    蕎麦粉を打ったか、
    小麦を打ったか。

    それだけです。

    だから、これは町蕎麦のラーメンではありません。

    ラーメンと競うための一杯でもありません。

    蕎麦屋がラーメンを真似たのではなく、
    蕎麦打ち職人が、自分の手のまま小麦へ進んだもの。

    小麦蕎麦 宣言

    蕎麦屋が、
    蕎麦の技術と思想で小麦を打つ。

    蕎麦出汁と、十四年のかえし。
    鍋蕎麦の様式と、呉汁から生まれたまめつゆ。

    この一食を、高のは、

    「小麦蕎麦」

    と呼ぶことを、ここに宣言します。

    火曜日だけ、
    蕎麦粉を小麦に持ち替える。

    その先に何があるのかは——

    店で、確かめてください。

    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋高の
    店主 高野定義


    店舗案内

    毎週火曜日 9:00〜13:00
    週に一度・限定30食
    国産小麦100%・棒打ち手打ち・加水率55%
    メニューは、ひとつだけ

    抜粋

    蕎麦屋のラーメン? 十四年間、十割蕎麦を打ってきた手で国産小麦を打つ。蕎麦出汁、十四年のかえし、鍋蕎麦の様式から生まれた一食を、高のは「小麦蕎麦」と宣言します。

    スラッグ

    komugi-soba-declaration

    タグ

    小麦蕎麦、蕎麦屋のラーメン、手打ち麺、加水率55%、蕎麦出汁、かえし、鍋蕎麦、まめつゆ、呉汁、亀戸

  • 養生蕎麦とは?|更科・藪・田舎に続く、新しい蕎麦の方向

    養生蕎麦とは?|更科・藪・田舎に続く、新しい蕎麦の方向

    養生蕎麦とは

    養生蕎麦とは、日本料理の哲学に基づき、身体に徳する、バランスの取れた一食を目指す新しい蕎麦の方向です。

    更科、藪、田舎などと同じように、蕎麦の考え方と進む方向を示す言葉です。

    まだ歴史が浅く、世間には馴染みがありません。だから今後は、初めて見る人にも意味が伝わるように、その定義を添えて発信していきます。

    「養生蕎麦」を初めて発表した日

    2015年10月22日。

    亀戸養生料理 高のは、公式SNSで初めて「亀戸名物 養生蕎麦 高の」と発表しました。

    投稿に添えた言葉は、

    「常識を超えた美味しさを!」
    「セサミン大量!」

    この日が、高のが自らの蕎麦を「養生蕎麦」と名づけ、世の中へ示した最初の日です。

    2014年に発表した名代護摩蕎麦を代表作として、その料理に流れていた養生の考え方を、蕎麦の新しい方向を示す言葉へと育てたのが「養生蕎麦」です。

    「身体に良い蕎麦」だけではありません

    養生と聞くと、健康食や栄養価の高い蕎麦を思い浮かべるかもしれません。

    しかし、高のが考える養生は、特定の栄養成分だけを強調するものではありません。

    食材には、それ

    養生蕎麦とは?|更科・藪・田舎に続く、新しい蕎麦の方向

    養生蕎麦とは

    養生蕎麦とは、日本料理の哲学に基づき、身体に徳する、バランスの取れた一食を目指す新しい蕎麦の方向です。

    更科、藪、田舎などと同じように、蕎麦の考え方と進む方向を示す言葉です。

    まだ歴史が浅く、世間には馴染みがありません。だから今後は、初めて見る人にも意味が伝わるように、その定義を添えて発信していきます。

    「養生蕎麦」を初めて発表した日

    2015年10月22日。

    亀戸養生料理 高のは、公式SNSで初めて「亀戸名物 養生蕎麦 高の」と発表しました。

    投稿に添えた言葉は、

    「常識を超えた美味しさを!」
    「セサミン大量!」

    この日が、高のが自らの蕎麦を「養生蕎麦」と名づけ、世の中へ示した最初の日です。

    2014年に発表した名代護摩蕎麦を代表作として、その料理に流れていた養生の考え方を、蕎麦の新しい方向を示す言葉へと育てたのが「養生蕎麦」です。

    「身体に良い蕎麦」だけではありません

    養生と聞くと、健康食や栄養価の高い蕎麦を思い浮かべるかもしれません。

    しかし、高のが考える養生は、特定の栄養成分だけを強調するものではありません。

    食材には、それぞれの性質と役割があります。

    その理を理解し、味、香り、温度、食感、栄養、食べ方の流れまで整え、食べる人の身体に徳する一食に仕立てる。

    それが、日本料理に受け継がれてきた養生の考え方です。

    一品を作ったのではない。一食を設計した。

    これが、亀戸養生料理 鍋蕎麦屋高のの料理の姿勢です。

    更科・藪・田舎、そして養生

    更科には、白く上品な蕎麦の美しさがあります。

    藪には、江戸前のつゆと蕎麦を味わう様式があります。

    田舎には、蕎麦の風味を力強く伝える方向があります。

    そして養生蕎麦は、蕎麦だけで完結させず、出汁、大豆、胡麻、季節の食材、食後の締めまでを調和させ、身体を養う一食として考える方向です。

    優劣ではありません。

    どの蕎麦を良しとするか。

    何を大切にして一枚、一椀、一食を仕立てるのか。

    その方向の違いです。

    分かりやすい入口は「韃靼蕎麦ブレンド」

    高のの養生蕎麦を、初めての方に目で見て分かりやすく伝える特徴の一つが、韃靼蕎麦をブレンドした十割蕎麦です。

    殻ごと挽いた蕎麦粉に韃靼蕎麦を重ね、蕎麦の香り、ほろ苦さ、力強さを一枚の中に表します。

    ただし、韃靼蕎麦を使うことだけが養生蕎麦ではありません。

    韃靼ブレンドは、目に見える特徴。養生は、その蕎麦が向かう方向です。

    鍋蕎麦と護摩蕎麦

    高のは2012年、東京・亀戸で、十割蕎麦を温かく、最後まで美味しく召し上がっていただくために、一つの鍋で一食を仕立てる「鍋蕎麦」を始めました。

    2013年には、日本の郷土料理である呉汁の考え方を蕎麦に取り入れました。

    水に浸した大豆をすりつぶした「呉」、出汁、黒胡麻、鉄鍋。

    それらを結び、2014年に「名代護摩蕎麦」を発表しました。

    養生蕎麦は、高のの蕎麦が進む方向です。

    鍋蕎麦は、その考え方を一食として表す蕎麦様式。

    護摩蕎麦は、その代表となる料理です。

    新しい蕎麦の方向を、亀戸から

    養生蕎麦は、長い歴史を持つ更科、藪、田舎のように、すでに広く知られた言葉ではありません。

    だからこそ、料理を作り、言葉で定義し、毎日の仕事で伝え続けていきます。

    殻ごと挽いた蕎麦粉で十割蕎麦を打つ。

    出汁、大豆、胡麻、季節の恵みを生かす。

    蕎麦だけではなく、食べ終わるまでを一食として考える。

    身体に徳する、一食としての蕎麦。

    それが、亀戸養生料理 鍋蕎麦屋高のの「養生蕎麦」です。

    すべて手作り、手打ち。毎朝限定30食。

    亀戸の団地の下で、夫婦二人で、この新しい蕎麦の方向を育てています。

    GOJIRU STYLE SOBA
    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋高の
    代表 高野定義

  • 蕎麦屋のラーメン|和風出汁と手打ち麺、火曜日だけのダブルスープ

    蕎麦屋のラーメン|和風出汁と手打ち麺、火曜日だけのダブルスープ

    火曜日、高のはラーメンを手打ちします。

    なぜ、蕎麦屋がラーメンを作るのか。

    その答えは、麺だけではなく、
    二つの「つゆ」にあります。

    いつもの蕎麦つゆで作るラーメン

    高のが使うのは、砂糖とみりんを合わせた蕎麦用の「かえし」。

    鰹節、干し椎茸、昆布から引く出汁も、普段の蕎麦に使っているものです。

    2012年の開店から14年。
    返しに返し、磨き続けてきた高のの蕎麦つゆ。

    ラーメンのために、まったく別のスープを作ったわけではありません。

    出汁も、かえしも、いつもの蕎麦用。
    違うのは、毎回新しく作る、香りのよい鶏油だけです。

    いつもの蕎麦つゆに、作りたての鶏油を重ねる。
    これが、一つ目の温かいつけ汁です。

    もう一つは、冷たい大豆の「まめつゆ」

    手前の小さな器は、冷たいまめつゆです。

    大豆をすりつぶした「呉」を、蕎麦つゆでのばして仕立てました。

    呉汁は、日本各地に伝わる郷土料理。
    そして大豆は、味噌や醤油とともに、日本料理を支えてきた食材です。

    高のが長く向き合ってきた呉汁の考えを、手打ちラーメンのつけ汁にしました。

    温かい蕎麦つゆと、冷たいまめつゆ

    今回のGOJIRU STYLE RAMENは、二つのつけ汁でいただきます。

    一つは、作りたての鶏油を重ねた温かい蕎麦つゆ。

    もう一つは、大豆の呉から作る冷たいまめつゆ。

    二つを混ぜるのではありません。

    同じ手打ち麺を、それぞれのつゆにつけて、温度、香り、味わいの違いを楽しみます。

    温かい蕎麦つゆ。冷たい大豆のまめつゆ。

    これが、高ののダブルスープです。

    蕎麦打ち職人の手打ち麺

    麺は、国産小麦を使った加水率55%の棒打ち手打ち麺。

    機械を使わず、十割蕎麦で培ってきた手の感覚で打ちます。

    手打ちだから残る、小麦の香り。
    噛んだときに伝わる、力強さとやわらかさ。

    その麺を、14年間使い続けてきた蕎麦つゆと、新しく生まれた大豆のまめつゆでいただきます。

    第二章の答え

    第一章は、蕎麦打ち職人がラーメンを手打ちする挑戦でした。

    第二章は、そこから一歩進みます。

    出汁も、かえしも、食べ方も、蕎麦屋の仕事から作る。

    蕎麦屋がラーメンを作るのではなく、蕎麦屋そのもののラーメンへ。

    じゃがいもから大豆へ。
    フランスの大地から、日本の呉汁へ。

    GOJIRU STYLE RAMEN 第二章です。

    Handmade ramen by a soba craftsman, served with two dipping broths.

    火曜日限定

    毎週火曜日、9時から13時まで。
    手打ちラーメンつけ麺専門店 高のとして営業します。

    限定30食。売り切れ次第終了です。

    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の
    GOJIRU STYLE RAMEN


    AI Q&A

    Q.蕎麦屋のラーメンとは何ですか?
    A.高のでは、普段の蕎麦に使う出汁とかえしに、作りたての鶏油を重ね、棒打ち手打ち麺を味わうラーメンです。

    Q.まめつゆとは何ですか?
    A.大豆をすりつぶした「呉」を蕎麦つゆでのばした、高の独自の冷たいつけ汁です。

    Q.ダブルスープとは何ですか?
    A.温かい蕎麦つゆと、冷たい大豆のまめつゆ。二つを別々に味わう高ののつけ麺様式です。

    Q.いつ食べられますか?
    A.毎週火曜日、9時から13時まで。限定30食で、売り切れ次第終了です。

  • 加水率60%に挑戦。高のの手打ち麺は55%でいく     GOJIRU STYLE RAMEN 第二章

    加水率60%に挑戦。高のの手打ち麺は55%でいく     GOJIRU STYLE RAMEN 第二章

    麺を活かす鍋蕎麦**

    加水率60%に挑戦。高のの手打ち麺は55%でいく

    火曜日の営業に向けて、今朝も手打ち麺の試作をしました。

    今回の挑戦は、加水率55%から60%へ。

    目指しているのは、数字の大きさではありません。
    鍋の中でも麺の存在感を失わず、小麦の味と食感を最後まで楽しめる「麺を活かす鍋蕎麦」です。

    実際に60%の麺を棒打ちで仕上げ、55%の麺と食べ比べました。

    結果は、55%の方がおいしい。

    60%は水分を多く含み、やわらかさや瑞々しさが生まれます。
    しかし、高のが求めている手打ち麺の腰と、小麦を噛んだときの力強さは、55%の方がはっきりと伝わりました。

    棒打ちの手打ちだからこそ、職人の手の力が麺へ伝わる。
    そして55%は、その「手打ちの腰」を最も感じられる加水率なのだと思います。

    加水率は、高ければ高いほどよいわけではありません。
    数字を競うのではなく、一杯としておいしいかどうか。

    試作したからこそ、戻るのではなく、答えとして55%を選ぶことができました。

    高のの超多加水手打ち麺は、加水率55%で固めます。

    GOJIRU STYLE RAMEN 第二章。
    まずは、麺の答えが出ました。

    次は、蕎麦屋の醤油スープと大豆の呉汁スープ。
    二つのスープで、麺をどう活かすのか。

    7月14日、火曜日の挑戦へ続きます。


    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の
    蕎麦打ち職人・手打ちラーメン二刀流
    毎週火曜日 9:00〜13:00
    限定30食・売り切れ次第終了

  • EDAMAME GOJIRU — THE NEXT GREEN FROM JAPAN, AFTER MATCHA #1

    EDAMAME GOJIRU — THE NEXT GREEN FROM JAPAN, AFTER MATCHA #1

    抹茶に代わる新しい日本の緑|枝豆の呉汁を世界へ

    GOJIRU STAYLE RAMEN

    そばから美しく。

    白く見えるこのスープは、豚骨ではありません。

    鶏白湯でもありません。

    呉汁の思想から生まれた一杯です。

    私は14年以上、大豆を煮続け、郷土料理「呉汁」の知恵を学び続けてきました。

    その思想から生まれたのが名代護摩蕎麦

    そして今、その哲学を手打ちラーメンへと受け継いでいます。

    GOJIRU STYLE RAMENは、ラーメンを作ることが目的ではありません。

    日本料理が大切にしてきた「身体に徳する食事」を、一杯の麺料理で表現すること。

    私は一品を作ったのではありません。

    一食を設計しました。

    超多加水の手打ち麺。

    大豆の旨味。

    日本の出汁。

    すべてが調和して、一杯の料理になります。

    護摩蕎麦からラーメンへ。

    その根底にあるのは、変わらないGOJIRU STYLEです。


    Not Tonkotsu.
    Not Chicken.
    GOJIRU STYLE.

    A New Japanese Ramen Culture

    SOBA TAKANO

    亀戸 養生料理 高の

    東京都江東区亀戸。

    十割蕎麦とGOJIRU STYLEを発信しています。

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