投稿者: SOBA TAKANO亀戸養生料理高の

  • 大豆と蕎麦が起こす奇跡|呉汁・護摩蕎麦・大豆油の「油結び」

    大豆と蕎麦が起こす奇跡|呉汁・護摩蕎麦・大豆油の「油結び」

    大豆と蕎麦。

    別々の食材だと思っていた二つが、振り返れば、高のの料理の中でずっと結ばれていました。

    呉汁で蕎麦を食べる。

    黒練り胡麻を合わせ、護摩蕎麦にする。

    そして今、大豆油を使った「油結び」で、十割蕎麦を打つ。

    大豆は汁となって蕎麦を受け止め、油となって蕎麦を結ぶ。

    これは偶然ではなく、料理を続ける中で少しずつ姿を現した「大豆と蕎麦の組み合わせによる奇跡」なのだと思います。

    【発酵の里・神崎から届いた在来大豆】

    今回、千葉県神崎町の「お里さん」こと、神崎町発酵アンバサダーの澤田聡美さんから、「こうざき在来大豆」を送っていただきました。

    袋の表示には「在来大豆【千葉県こうざき産】」、販売者は有限会社こうざき自然塾と記されています。

    澤田さんから見せていただいたのは、夕日に照らされ、黄金色に染まる広大な大豆畑でした。

    「一面の大豆畑を見にいらしてください」

    その言葉とともに、秋には無農薬で育てられた黒大豆を収穫し、枝豆として食べられることも教えていただきました。

    今から、その黒大豆の枝豆に出会える日が楽しみでなりません。

    澤田さん、そして神崎町の皆様。

    大切な大豆と、まだ見ぬ大豆の世界を教えてくださり、本当にありがとうございます。

    【呉汁と蕎麦から始まった】

    高のでは、2013年6月12日から、大豆をすり潰した「呉」を蕎麦に合わせてきました。

    大豆の呉を、鰹、昆布、干し椎茸の出汁でのばし、醤油で味を整える。

    大豆の素朴な甘みと出汁の旨み。

    その中に、殻ごと挽いた香り高い十割蕎麦を入れます。

    2014年には、そこへ黒練り胡麻を合わせた「護摩蕎麦」を発表しました。

    黒胡麻の深い香り、大豆のまろやかさ、出汁の旨み、そして蕎麦の力強さ。

    鉄鍋の中で、それぞれが別々に主張するのではなく、一つの料理として結ばれます。

    現在の「まめつゆ蕎麦」も、この歩みの先にあります。

    呉汁、護摩蕎麦、まめつゆ蕎麦。

    名前や仕立ては変わっても、高のが続けてきたものは「まめと蕎麦を一つの椀に結ぶこと」でした。

    【大豆と蕎麦――栄養の異なる二つを、一椀に】

    大豆には、たんぱく質、脂質、炭水化物の三大栄養素に加え、食物繊維、ミネラル、ビタミンB群などが含まれています。

    蕎麦粉にも、たんぱく質や食物繊維が含まれ、マグネシウム、リン、鉄、ビタミンB群など、さまざまな栄養成分があります。

    蕎麦を殻に近い部分まで余さず使う高のの十割蕎麦は、白く磨き上げることよりも、蕎麦そのものを表現することを大切にしています。

    大豆と蕎麦のどちらか一方を「完全な食べ物」と呼ぶのではありません。

    性質の異なる二つの植物性食材を、出汁や胡麻とともに一椀でいただく。

    そこに、この料理の豊かさがあります。

    栄養だけを足し算するのではなく、香り、甘み、食感、温度まで含めて一つにする。

    それが、高のの考える養生料理です。

    【大豆油で蕎麦を打つ「油結び」】

    大豆と蕎麦の関係は、食べ方だけでは終わりませんでした。

    高のでは現在、大豆油と水を撹拌した乳化液を水回しに使い、十割蕎麦を打つ「油結び」に取り組んでいます。

    始まりは、フランスの蕎麦粉で、小麦粉を混ぜずに十割蕎麦を作りたいという挑戦でした。

    熱を使う「湯ごね」だけに頼らず、蕎麦粉の個性をできるだけ残したまま、切れにくく、すすれる十割蕎麦を作れないか。

    その試行錯誤の中で、大豆油と水を結び、蕎麦粉へ回す方法にたどり着きました。

    大豆の呉で蕎麦を食べてきた店が、今度は大豆の油で蕎麦を打つ。

    料理としても、技法としても、大豆と蕎麦が結ばれたのです。

    「理にかなう」とは、栄養上の効果を大げさに断定することではありません。

    大豆を余すことなく見つめ、汁、豆、油という異なる姿を、それぞれ蕎麦に生かすこと。

    長年の料理と試作が、一本の道としてつながっていることです。

    【大豆の世界は、まだ見ぬ世界】

    蕎麦と向き合い続けてきましたが、大豆の世界には、まだ知らない景色が広がっています。

    大豆は、乾燥した豆だけではありません。

    春に芽を出し、夏には青々と葉を広げ、秋には枝豆として実り、やがて畑一面が黄金色に染まります。

    収穫された豆は、冬の温かな呉汁になります。

    豆には、季節を一椀の中に表現する力があります。

    夏の枝豆の呉汁。

    秋の黒大豆の枝豆。

    冬のこうざき在来大豆による温かな護摩蕎麦。

    豆が変われば、香りも、甘みも、色も変わります。

    その季節の豆に十割蕎麦を合わせれば、高のの一椀で日本の四季と土地を伝えることができます。

    【これからの高の――一年を通して、季節の豆と蕎麦を】

    これから高のは、一年を通して、その季節に出会える豆と向き合います。

    季節の豆を呉汁にし、護摩蕎麦やまめつゆ蕎麦として届ける。

    大豆油による「油結び」で、世界の蕎麦粉を十割蕎麦へ結ぶ。

    土地ごとの豆、土地ごとの蕎麦、土地ごとの季節を、一椀の中で出会わせる。

    多くの料理を増やすことが目的ではありません。

    大豆と蕎麦という二つの食材を深く掘り下げ、季節が変わるたびに、新しい表情を見つけていくこと。

    大豆で蕎麦を食べ、大豆の油で蕎麦を打つ。

    呉汁、護摩蕎麦、まめつゆ蕎麦、そして油結び。

    大豆と蕎麦は、偶然出会ったのではありません。

    振り返れば、すべてが一本の道としてつながっていました。

    高のはこれからも、まだ見ぬ大豆の世界へ進みます。

    そして季節の豆と十割蕎麦によって、日本の土地と四季を、未来の若者へ残していきます。

    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の
    SOBATAKANO

    【参考資料】

    文部科学省「日本食品標準成分表(八訂)増補2023年」食品成分データベース

    農林水産省「豆のこと、もっと知りたい。」

    農林水産省「大豆及び大豆イソフラボンに関するQ&A」

  • 油結びを推奨する理由――蕎麦のよいところを腸まで届ける

    油結びを推奨する理由――蕎麦のよいところを腸まで届ける

    亀戸養生料理 高のでは、大豆油と水を撹拌した液体で十割蕎麦の水回しをする製法を「油結び」と呼んでいます。

    油結びは、粗挽きの十割蕎麦を切れにくくするためだけの技術ではありません。

    なぜ、蕎麦に油を使うのか。

    調べ続けるなかで、油結びを推奨する理由が少しずつ見えてきました。

    油結びとは

    油結びとは、植物油と水を撹拌し、その液体を蕎麦打ちの水回しに用いる方法です。

    現在、高のでは大豆油と水を撹拌して使用しています。

    目的は、小麦粉などのつなぎや熱による糊化だけに頼らず、蕎麦粉そのものを麺として結ぶことです。

    粗挽きで、殻ごと挽いた、黒くて香りの強い十割蕎麦。

    それを切れにくく、しなやかにし、すすれる麺にするために生まれたのが油結びです。

    理由1 熱に頼らず十割蕎麦を結ぶ

    十割蕎麦をつなぐ方法の一つに、熱湯を使って蕎麦のでんぷんを糊化させる「湯ごね」があります。

    油結びでは、熱湯による糊化だけに頼らず、油と水を撹拌した液体を使って水回しをします。

    世界の土地で育った蕎麦を、その土地の粉、水、大気のなかで十割蕎麦にする。

    油結びは、世界と日本を蕎麦でつなぐために生まれた方法でもあります。

    理由2 粗挽き十割蕎麦を、しなやかにする

    1990年に『調理科学』へ掲載された「そば切りの油脂添加による物性への影響」では、そば粉100部に対し、O/W型の乳化油脂製品を0、1、2、4部加え、蕎麦の物性を比較しています。

    その結果、比較した条件のなかでは、乳化油脂製品を2%添加した蕎麦が適切な硬さと伸張性を示しました。

    電子顕微鏡による観察では、加えた油脂が蕎麦のでんぷん粒の間へ入り込み、粒を結ぶような状態も確認されています。

    一方、4%添加では硬さや凝集性が低下し、脆さが増しました。

    油は、多ければよいわけではありません。

    適量の油をどのような状態で蕎麦全体へ行き渡らせるかが重要です。

    なお、この研究で使われた乳化油脂製品は水分70%、脂質30%であり、高のの油結びと同一の製法ではありません。

    しかし、「油が蕎麦のでんぷん粒の間に入り、麺の物性へ影響する」という報告は、油結びを考えるうえで重要な先行研究です。

    参考論文:
    吉中哲子ほか「そば切りの油脂添加による物性への影響」
    https://doi.org/10.11402/cookeryscience1968.23.2_186

    理由3 蕎麦のよいところを、茹で湯へ逃がさない可能性

    蕎麦を茹でると、蕎麦に含まれる成分の一部が茹で湯へ移ります。

    蕎麦の熱湯抽出液を調べた研究では、茹で汁に抗酸化作用を持つ成分が溶出していることが示されています。

    また、韃靼蕎麦由来のルチンを加えた即席麺の研究では、150~190℃で揚げた段階ではルチン量に明確な低下がみられなかった一方、その後の水中調理によって明らかな減少が確認されました。

    この結果から、ルチンの減少は「熱だけ」の問題ではなく、「熱と水による調理」、特に茹で湯への溶出が関係している可能性が考えられます。

    そこで、油結びについて新しい仮説が生まれました。

    油結びによって蕎麦のでんぷん粒の結びつきが強くなれば、茹でる際の成分流出が抑えられ、通常の十割蕎麦よりもルチンが麺に多く残るのではないか。

    現段階では、まだ仮説です。

    油結び蕎麦と通常の十割蕎麦について、生麺、茹で麺、茹で湯に含まれるルチン量を比較した分析は行っていません。

    したがって、「油結びによってルチンが必ず多く残る」と断定することはできません。

    しかし、油結びを検証する新しい研究の方向として、記録する価値があると考えています。

    参考資料:
    「脱塩基DNA法を用いたヒドロキシラジカル損傷に対する蕎麦熱湯抽出液のDNA防御能」
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajscs/19/0/19_0_72/_article/-char/ja/

    参考論文:
    “Extraction of rutin from Tartary buckwheat milling fractions and evaluation of its thermal stability in an instant fried noodle system”
    https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25624204/

    理由4 蕎麦のよいところを腸まで届ける

    高のでは以前から、

    「栄養、腸まで届け。」

    という考えで料理を作ってきました。

    とろろ、玄米、雑炊なども、ただ栄養を加えるためだけの料理ではありません。

    食材の消化や吸収の進み方を考え、身体への届き方まで料理する。

    それが養生料理としての高のの考え方です。

    食事に含まれる脂質は、一般に胃から小腸へ食べ物が移る速さや、消化吸収の進み方に影響します。

    そのため油結びには、蕎麦を物理的につなぐ働きだけでなく、蕎麦の消化や吸収の進み方を緩やかにする可能性も考えられます。

    ただし、油結び蕎麦を食べることによって、ルチンが通常の蕎麦より多く腸へ届くことや、吸収率が高まることを確認した研究は、現在のところありません。

    「蕎麦のよいところを腸まで届ける」は、健康効果の断定ではありません。

    高のが料理を作るうえで大切にしてきた思想であり、これから検証していきたい方向です。

    切れないためだけの油ではない

    油結びを推奨する理由は四つあります。

    一つ目は、熱に頼らず十割蕎麦を結ぶため。

    二つ目は、粗挽き十割蕎麦を切れにくく、しなやかにするため。

    三つ目は、ルチンなどの成分が茹で湯へ流れ出すことを抑え、麺に残せる可能性があるため。

    そして四つ目は、蕎麦のよいところを腸まで届けるという、養生料理の考え方につながるためです。

    切れないためだけの油ではない。

    蕎麦のよいところを茹で湯へ逃がさず、身体への届き方まで考える。

    油で結び、腸まで届ける。

    それが、亀戸養生料理 高のが油結びを推奨する理由です。

    亀戸養生料理 高の
    株式会社高の
    代表 高野定義
    SOBA TAKANO

  • 栄養、腸まで届け。油結びで、蕎麦のよいところを腸まで

    栄養、腸まで届け。油結びで、蕎麦のよいところを腸まで

    僕は昔から、料理についてこう言ってきました。

    栄養、腸まで届け。

    身体によい材料を使っただけでは、料理の仕事は終わらない。

    その栄養を、おいしく食べてもらい、身体の中へ届けるところまでが料理だと考えてきました。

    今回、油と蕎麦の関係を調べていくうちに、この言葉と「油結び」が一本につながりました。

    油は、蕎麦の邪魔をするものではなかった

    高のの油結びは、大豆油と水を十分に撹拌し、その乳化液で十割蕎麦の水回しをする方法です。

    小麦粉を加えず、熱で固めることにも頼らず、殻ごと挽いた粉や粗挽き粉を、蕎麦らしいまま麺にするために続けてきました。

    調べてみると、1990年に「そば切りの油脂添加による物性への影響」という研究が発表されていました。

    そば粉100%に乳化油脂を加えて比較したところ、適量では蕎麦に好ましい硬さと伸びが生まれ、切れにくくなり、茹ですぎやつゆに浸した後の伸びも抑えられました。

    電子顕微鏡では、油脂が蕎麦のでんぷん粒の間へ入り、粒を結ぶような状態も観察されています。

    油は、蕎麦の外側を滑らせるだけではなかった。

    蕎麦の粒と粒の間に入り、麺としてつなぐ働きをしていたのです。

    これは、高のが油結びで確かめてきた「粗挽き十割でも切れにくい」「細く、しなやかで、すすれる」という感覚と重なります。

    蕎麦と大豆、二つの種の栄養を結ぶ

    蕎麦には、炭水化物、たんぱく質、食物繊維、ビタミンB群、そしてポリフェノールの一種であるルチンなどが含まれています。

    大豆油には、n-6系・n-3系の多価不飽和脂肪酸、ビタミンE、ビタミンKが含まれています。

    蕎麦に脂質がまったくないわけでも、蕎麦に油が不足していたわけでもありません。

    油結びは、蕎麦の外に油を添えるのではなく、少量の植物油脂を蕎麦そのものの中へ組み込む方法です。

    蕎麦という種と、大豆という種。二つの植物の力を、一つの麺の中で結ぶ。

    これも油結びの意味だと考えています。

    蕎麦のよいところを、腸まで

    蕎麦のルチンは、小腸では吸収されにくく、その一部は大腸まで届き、腸内細菌によってケルセチンなどへ変化して利用されます。

    また、一般に炭水化物を適量の脂質と一緒に食べると、胃から腸へ送られる速度が遅くなり、糖質の吸収が緩やかになることが報告されています。食事中の脂質が、ケルセチンの吸収を助ける可能性を示した人での研究もあります。

    ただし、油結び蕎麦を食べればルチンの吸収が必ず増える、血糖値が必ず下がる、と証明されたわけではありません。

    ここは効能として言い切らず、これから確かめるべき可能性として残します。

    それでも、蕎麦の成分が腸で働くという事実を知ったとき、僕が昔から言ってきた言葉へ戻ってきました。

    栄養、腸まで届け。

    とろろは、粘りや食物繊維、酵素によって蕎麦の消化を支えます。

    油は、とろろと同じ働きではありません。しかし、どちらも栄養を加えるだけでなく、消化や吸収の進み方まで考えた蕎麦の相棒です。

    とろろは蕎麦の外から。

    油結びは、蕎麦の中から。

    油結びは、料理・技術・栄養を結ぶ

    油結びには、三つの意味が見えてきました。

    一つは、粗挽き十割蕎麦を麺として切れにくくする「技術」。

    一つは、蕎麦と大豆、二つの種の力を合わせる「栄養」。

    そしてもう一つは、蕎麦のよいところを食べる人の身体へ届けようとする「料理」です。

    油は、蕎麦らしさを消すためのものではありません。

    削らず、混ぜず、熱に頼らず、蕎麦を蕎麦らしいまま届けるために使う。

    蕎麦のよいところを、腸まで。

    栄養、腸まで届け。高のの油結び。

    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の
    SOBA TAKANO

    参考資料

    ● 吉中哲子ほか「そば切りの油脂添加による物性への影響」調理科学 23巻2号、1990年

    ● 文部科学省「日本食品標準成分表(八訂)増補2023年」大豆油

    ● Rivaほか「Conversion of Rutin by Human Gut Microbiota」2020年

    ● Guoほか「Dietary fat increases quercetin bioavailability in overweight adults」2013年

  • 夫婦ふたり、団地の蕎麦屋ミシュランまでの道― フランス活動記 ―12 恩人クリストフの家しろいスパゲッティ

    夫婦ふたり、団地の蕎麦屋ミシュランまでの道― フランス活動記 ―12 恩人クリストフの家しろいスパゲッティ

    マルセイユのお祭りの日。

    祭りが始まると、街は大変なことになる。
    その前に解散できるように、クリストフは僕たちを自宅でのランチに招いてくれた。

    僕たちは、お互いの言葉が分からない。

    それでもクリストフは、僕たちが楽しめるようにダーツまで用意して待っていてくれた。

    僕たちはダーツの遊び方さえ知らなかった。
    言葉も分からない。
    それなのに、不思議と楽しかった。

    ランチは、オスギがリクエストしたカルボナーラ。

    クリストフが一人で作ったのではない。
    僕も一緒に台所に立ち、一緒に作った。

    言葉は分からない。
    細かな説明を聞くこともできない。

    それでも料理人同士だからなのか、手の動きや材料を見ていると、なぜか伝えたいことが理解できた。

    「イタリアの生ハムのほうがいい」

    「カルボナーラにクリームは使わない」

    言葉は分からなかったはずなのに、その二つを僕は今でもはっきり覚えている。

    一緒に作ったカルボナーラは、本当に美味しかった。

    愛犬のマジもいた。

    クリストフの家で、ダーツをして、一緒に料理を作り、同じ食卓を囲んだ。

    特別なことを話したわけではない。
    そもそも、互いの言葉が分からない。

    それでもあの昼、僕たちは確かに分かり合っていた。

    祭りが始まる前に、僕たちはクリストフの家を出た。

    帰り道、クリストフは僕たちにお城を見せてくれた。

    車の中では、山下達郎の「アトムの子」をかけてくれた。

    フランス、マルセイユの景色。
    クリストフが運転する車。
    そこから流れてきた日本の音楽。

    僕は、あの時間を忘れない。

    ダーツの遊び方も分からなかった。
    互いの言葉も分からなかった。

    けれど、一緒に料理を作れば理解できた。
    同じものを食べれば笑うことができた。

    料理には、人と人を結ぶ力がある。

    クリストフの家で一緒に作った、あのカルボナーラ。

    美味しかった。

    忘れないよ。

    このときの僕たちは、クリストフが長い付き合いとなり、人生の恩師になることを、まだ知らなかった。

  • タイトル2026.08.26 大豆を炊きました|呉、豆のすりみ作り

    タイトル2026.08.26 大豆を炊きました|呉、豆のすりみ作り

    本文

    2026年8月26日。

    今日、今、高のの「呉」を仕込んでいます。

    使っているのは、千葉県香取郡神崎町で育てられた「こうざき在来大豆」です。

    在来大豆とは、その土地で昔から種を採り継ぎ、土地の気候や土に適応しながら残されてきた大豆です。

    全国で同じ規格にそろえて大量に生産するための大豆ではありません。土地ごとに受け継がれてきた種だからこそ、粒の形や大きさ、香り、甘み、炊き上がりにも、それぞれの土地の個性が表れます。

    昔は各地に、その土地ならではの大豆がありました。しかし、育てやすさや収穫量、粒のそろいやすさが求められる中で、地域だけで作られてきた在来大豆は、一般の流通では出会う機会が少なくなっています。

    在来大豆を使うことは、珍しい大豆を使うというだけではありません。

    その土地で守られてきた種を食べ、次の栽培へつなぎ、地域の味を未来へ残すことでもあります。

    鍋の中で、その大豆を炊きました。
    店の中に、温かく素朴な豆の香りが広がっています。

    呉とは、大豆をすりつぶして作る「豆のすりみ」です。

    高のでは、炊いた大豆をすりつぶし、料理の土台となる呉を作ります。ここから、鰹、昆布、干し椎茸の出汁と合わせ、黒練り胡麻を重ね、醤油で味を整えていきます。

    それが、高のの名代「護摩蕎麦」へつながります。

    大豆を炊く。
    豆をすりつぶす。
    出汁と合わせる。

    派手な仕事ではありません。
    けれど、この仕込みがなければ、高のの味は始まりません。

    高のが呉汁を蕎麦と合わせたのは、2013年6月12日。
    その積み重ねから、2014年に護摩蕎麦が生まれました。

    今日は、その原点となる仕事をしています。

    千葉県神崎町で守られてきた大豆を炊き、すりつぶし、高のの呉にする。

    土地に残された種が、亀戸の一杯へつながっていきます。

    一年、大豆の店。

    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の
    高野定義

    抜粋
    2026年8月26日、千葉県神崎町で種を採り継いできた「こうざき在来大豆」を炊きました。土地に残された大豆をすりつぶし、高のの料理の土台となる「呉」を作る仕込みの記録です。

    スラッグ
    2026-08-26-kozaki-native-soybean-go

    タグ
    呉、呉汁、大豆、在来大豆、こうざき在来大豆、神崎町、護摩蕎麦、豆のすりみ、仕込み、養生料理、亀戸、蕎麦屋高の、SOBA TAKANO

  • 蕎麦屋の手打ちラーメン日記

    蕎麦屋の手打ちラーメン日記

    今日は朝4時から、蕎麦屋のラーメンを作り始めました。

    粉は3kg、加水率55%。
    茹で前200g強で、21食分を用意しました。

    9時から13時まで営業。
    販売は16食。一食2,200円。
    今日の売上は35,200円でした。

    一食は試食し、四食残りました。
    麺の端切れも、自分たちで試食しました。

    ラーメンらしいラーメンも知っています。
    売れるであろうラーメンも作れます。

    それでも、今のラーメンを僕は完璧だと思っています。
    作り終えたあとは、とても清々しい気持ちでした。

    売上は売上。料理は料理。
    今日は21食作り、16食売れた。
    建前のない、今日の記録です。

  • 油脂は麺に使われていた。それでも「油結び」は何を変えたのか――粗挽き十割蕎麦と製麺技術の接点

    油脂は麺に使われていた。それでも「油結び」は何を変えたのか――粗挽き十割蕎麦と製麺技術の接点

    前の記事で、僕は「油結び」が生まれるまでの道のりを書いた。

    フランスの蕎麦粉と、フランスの水で、十割蕎麦を打ちたい。

    小麦粉を使わず、熱にも頼らず、その土地の蕎麦を、その土地で麺にしたい。

    その試行の中で、油と水を先に十分に撹拌し、その液体を粗挽き蕎麦粉100%の水回しに用いる現在の方法へたどり着いた。僕はこの方法を「油結び」と名づけた。

    しかし、発表するなら、自分の経験だけを書いて終わってはいけない。

    過去に同じことをした人はいなかったのか。

    蕎麦職人ではなく、製麺所の側から見たら、すでに行われていることではないのか。

    この問いから、もう一度調べ直した。

    麺に油脂を使う技術は、すでに存在していた

    調査すると、製麺業界には油脂、粉末油脂、乳化油脂を麺へ利用する技術が以前から存在することが分かった。

    目的は、乾燥防止、べたつき防止、ミキシングの均一化、柔軟性や食感の調整、麺のほぐれ、保存性、製造上の作業性などである。

    製麺用の業務資材には、乳化油脂を「こね水に溶解使用」するものが公開されている。特許資料にも、水中油型乳化油脂を、うどん、そば、中華麺などの製造や品質改良に利用する記録がある。

    また、そば粉60%、小麦粉40%の原料へ粉末油脂を加え、乾そばを製造した実施例も確認できた。学術資料にも、乾めんの生地へ乳化油脂を加え、物性への影響を測定した研究がある。

    つまり、ここは正直に記録しなければならない。

    「麺に油を使う」という考えそのものは、新しくない。

    油脂が生地の状態や麺の物性を変えることも、製麺の世界では以前から研究されてきた。

    この発見は、僕の油結びを弱くするものではなかった。

    むしろ、何が同じで、何が違うのかを考える、新しい角度を与えてくれた。

    製麺技術と「油結び」は、目的と構造が違う

    確認できた製麺技術の多くは、加工された乳化油脂、粉末油脂、乳化剤などを利用し、機械製麺の安定、保存、ほぐれ、作業性、食感の改良を目的としている。また、そばの実施例でも小麦粉を配合したものが確認できる。

    一方、高ので実践している油結びは、次の条件を持つ。

    ● 原料の中心は、粗挽きの蕎麦粉100%である。

    ● つなぎの小麦粉を使わない。

    ● 打つときに蕎麦粉を加熱しない。

    ● 製麺用の乳化油脂や乳化剤ではなく、食用の植物油と水を使う。

    ● 油を粉へ直接入れるのではなく、油と水を先に十分に撹拌する。

    ● 撹拌によって油を細かく乳化・分散させた状態の仕込み水を、水回しに用いる。

    ● 機械による量産ではなく、人の手で粉の状態を読み、延し、切る。

    ● 保存性や量産性ではなく、粗い蕎麦の粒を残したまま、乾燥やひび割れを抑え、麺として結ぶことを目的とする。

    ここでいう「乳化・分散」は、乳化剤を使って長期間安定させた工業的な乳化油脂と同じ意味ではない。油と水だけを撹拌しているため、時間がたてば分離し得る。一時的に油滴を細かく分散させ、その状態で粉全体へ届けることが重要だと考えている。

    油結びは、油で蕎麦を固める技術ではない。

    油だけを蕎麦へ混ぜる技術でもない。

    水回しへ油の働きを持ち込み、粗挽き十割を手打ちのまま結ぶための再構成である。

    工業製麺の知恵を、蕎麦職人の手へ戻す

    製麺所は、安定して大量に麺を作るため、油脂の働きを研究してきた。

    僕はそれを知らず、フランス産蕎麦粉100%を麺にするために、手で試行を始めた。

    最初は、菊練り後や角出し後の生地を、油のついた手で撫でた。粗挽き生地の表面を乾燥やひび割れから守れないかと考えたからである。

    次に、冷やした蕎麦湯と油を合わせた。

    その後、蕎麦湯を使わず、水と少量の油を先に撹拌し、粉全体へ均一に届ける現在の方法へ進んだ。

    あとから製麺技術の資料を知り、油脂が麺の生地へ働くという自分の感触に、すでに別の世界から研究されていた根があることを知った。

    けれど、そこで終わりではない。

    工業製麺の目的と、僕の目的は違う。

    僕が残したいのは、均一で扱いやすい麺を大量に作る方法ではない。

    殻ごと挽いた粉を削らない。

    粗い粒を取り除かない。

    熱で蕎麦の性質を先に変えない。

    蕎麦らしい香りと、黒さと、ザクザク噛む力を残したまま、細く、しなやかに、すすれる麺へ導く。

    工業製麺に存在した油脂利用と、蕎麦職人の水回し。その二つの間に、油結びの現在地が見えてきた。

    現在の油結び

    現在の記録例では、大豆油100ccと水600ccを十分に撹拌し、仕込み水を作っている。

    ただし、これはすべての粉に通用する固定配合ではない。

    蕎麦粉の産地、挽き方、粒度、季節、温度、湿度によって必要な加水は変わる。大切なのは数字だけではなく、油と水を先に撹拌して粉全体へ届け、最後は手で粉の状態を読むことである。

    現在、高のでは細かい蕎麦粉、殻ごと挽いた玄挽き、粗挽き粉を組み合わせた十割でも検証を続けている。粗挽きの割合、麺の太さ、茹で時間、切れ方、しなやかさを、毎朝の蕎麦打ち動画として公開している。

    これは完成品の宣伝ではない。

    技法がどこまで通用するのかを残す、公開実験の記録である。

    油結びの年代記録

    2023年

    フランスから帰る飛行機の中で、次はフランス産蕎麦粉100%と現地の水で十割蕎麦を打つと決め、方法を考え始めた。

    2024年

    日本とフランスで、湯捏ねによる十割蕎麦を試した。フランス滞在中に柔らかなパンと出会い、「バターの量だ」という言葉から、油脂が生地を変えるという感覚を得た。帰国後、油をつけた手で蕎麦生地を撫でる試行を始めた。

    同年夏、ジュリアとミカからクルミ油を受け取った。同年9月、ガレット職人のまろ氏から、ガレット生地にも油を入れるという話を聞き、蕎麦粉と油を組み合わせる自分の試みに確信を持った。

    2025年

    フランスでは引き続き湯捏ねを実践した。帰国後、前日に取って冷やした蕎麦湯と油を使う方法を試し、その後、水と油を先に撹拌して水回しに用いる現在の方法へ発展した。

    現在

    粗挽き蕎麦粉100%を対象に、油と水を撹拌した仕込み水を用いる「油結び」として、工程、配合、麺の状態を記録している。

    過去の一部のYouTube説明欄には、当時の記憶違いによる「2022年考案」という表記が残っている。渡仏歴と公開記録を再確認した結果、正しい年代は、2023年に構想、2024年に試作開始、2025年に現在の方法へ発展である。ここに訂正して記録する。

    現在、確認できている資料

    高の自身による一次記録

    ● 2026年8月20日公開ブログ「油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び」

    ● YouTube「世界と日本を繋ぐ十割蕎麦打ちチャレンジ」

    ● YouTube「誰でも繋がる十割蕎麦打ち 乳化を利用した蕎麦打ち」

    ● YouTube「どなたでも打てる十割蕎麦打ち 乳化を利用した油結び」

    ● YouTubeショート「十割蕎麦打ち #油結び」

    ● SOBA TAKANOの朝の十割蕎麦打ちLIVE、ショート動画

    ● Instagram、Facebookに残る油結び、フランス産蕎麦粉、湯捏ね、粗挽き十割の投稿

    これらは、油結びの新規性を第三者が証明する資料ではない。しかし、高野定義がいつ、どの工程を公開し、どのように方法を変えてきたかを確認する一次記録になる。

    関係を確認できる第三者資料

    ● 坂崎仁紀氏による文春オンラインの継続取材。2026年8月11日の記事は、高のが太く黒いザクザク噛む十割蕎麦を継続していること、粗挽き粉を含む蕎麦、小麦蕎麦、枝豆のまめつゆなど、現在の料理と技術の背景を記録している。

    ● 柴田書店編『蕎麦前とつまみ167品』(2025年)。油結びそのものの資料ではないが、高のを既存の取材店として料理と工程を記録した専門書である。

    現時点では、油結びの技術的新規性や歴史的位置を独立して検証した第三者記事は、まだ成立していない。

    製麺技術の先行資料

    ● 製麺用乳化油脂を、こね水に溶かして使う業務用品の公開資料

    ● 水中油型乳化油脂を、そばを含む麺類の品質改良へ用いる特許資料

    ● そば粉60%、小麦粉40%、粉末油脂を用いた乾そばの特許実施例

    ● 水中油型乳化物が麺生地の均一な混練などへ働くことを記した特許資料

    ● 乳化油脂を添加した乾めんの物性を測定した食品科学の研究

    これらは「麺と油脂」の先行例である。しかし、現在確認した範囲では、食用植物油と水を先に撹拌し、その乳化・分散状態を粗挽き蕎麦粉100%の水回しへ用い、無加熱で手打ちするという、高のの油結びと全条件が一致する公開例は見つかっていない。

    ただし、これは世界初の証明ではない。

    公開検索で見つかっていないことと、歴史上存在しなかったことは同じではない。

    これから確認したいこと

    僕が求めているのは、「最初だった」と褒めてもらうことではない。

    次の問いに、資料と実験で答えたい。

    1. 江戸期以前から現代まで、蕎麦粉へ油を加えて生地を結び、延し、切った記録はあるか。

    2. 油と水を撹拌、乳化または分散させた液体を、十割蕎麦の水回しへ用いた先例はあるか。

    3. 製麺所、乾麺、即席麺で使われる乳化油脂と、食用油と水だけを使う油結びでは、生地内部で何が違うのか。

    4. 通常の水ごね、湯捏ね、油結びで、粗挽き十割の切断率、延展性、茹で上がり、香り、食感はどう変わるか。

    5. 粗挽きの割合や粒度を変えても、別の職人が再現できるか。

    先例があれば、名称、年代、地域、文献を知りたい。

    それは油結びを否定するものではない。失われた技法とのつながりが見つかるなら、新しい蕎麦史になる。

    先例が確認できなければ、現代の粗挽き十割手打ちとして、複数の職人、製粉会社、製麺技術者、料理史・蕎麦史の研究者による比較検証が必要になる。

    「世界初」ではなく、調べられる発表へ

    僕は、油結びを「日本初」「史上初」「世界初」とは書かない。

    今、言えるのはここまでである。

    麺に油脂を使う技術は、製麺業界に以前から存在した。

    その一方で、食用油と水を先に撹拌し、添加物・熱・小麦粉に頼らず、粗挽き蕎麦粉100%の水回しに使う手打ちの公開例は、現在確認した資料の中では見つかっていない。

    油結びは、既存の油脂利用をそのまま持ち込んだものではなく、粗挽き十割蕎麦を削らず、熱を使わず、人の手で麺にする目的へ再構成した試みである。

    新しい発見があれば、この記録は更新する。

    間違いがあれば、日付を残して訂正する。

    先人がいれば、敬意をもって名前を記す。

    発表とは、大きく言い切ることではない。

    後から来た人が調べられるように、問いと資料と工程を残すことだと、僕は考えている。

    油結びは、完成した答えではない。

    蕎麦を削らず、蕎麦らしいまま麺にするための、公開された問いである。

    高野定義
    SOBA TAKANO
    亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の

    公開資料・参照先

    高のの公開記録

    ● 油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    ● 世界と日本を繋ぐ十割蕎麦打ちチャレンジ

    ● 誰でも繋がる十割蕎麦打ち 乳化を利用した蕎麦打ち

    ● どなたでも打てる十割蕎麦打ち 乳化を利用した油結び

    ● 十割蕎麦打ち #油結び

    第三者資料

    ● 坂崎仁紀「十割蕎麦職人がつくる“つけ麺”が絶品…!」文春オンライン、2026年8月11日

    ● 柴田書店編『蕎麦前とつまみ167品』柴田書店、2025年、38–43頁、ISBN 978-4-388-06391-8。

    製麺・油脂利用の先行資料

    ● 日本コロイド「製麺用改良剤」

    ● 水中油型乳化油脂組成物 JP3477785B2

    ● 麺の製造法 JP2717226B2

    ● 即席ロングライフ麺用改良剤組成物 JP2001061422A

    ● 三木英三ほか「乾燥中のめんの物理的性質に及ぼす加工条件の影響」『日本食品科学工学会誌』43巻5号、1996年

  • 夫婦ふたり、団地の蕎麦屋ミシュランまでの道― フランス活動記 ―11 あれは、オーディションクリストフと鯖対決

    夫婦ふたり、団地の蕎麦屋ミシュランまでの道― フランス活動記 ―11 あれは、オーディションクリストフと鯖対決

    2024年、フランス・マルセイユ。

    Robatoでの二週間が終わろうとしていた。

    寿司でも、ラーメンでもない。
    フランスでは、まだ誰も知らない高のの料理。

    KAKIAGE「苔」。
    鉄鍋の護摩蕎麦。
    豆乳抹茶「きみがよ」。
    鶏もも丸々素揚げ。

    始まりは予約ゼロだった。

    それが毎晩満席になり、二週間SOLD OUT。
    店には、キャンセル待ちの電話が鳴り続けた。

    その客席の向こうで、僕たちの料理を見ていた男がいた。

    クリストフだった。

    初めてのKoishi

    クリストフに連れられ、僕とオスギは初めてKoishiを訪れた。

    店の外から、すでに普通ではなかった。

    日本の漫画、アニメ、写真、器。
    厨房には、日本から運ばれた米の袋が掛けられている。

    壁にも、棚にも、冷蔵庫にも、クリストフが好きになった日本があった。

    整然と作られた日本料理店ではない。

    クリストフが見て、食べて、出会ってきた日本が、店の中に積み重なっていた。

    僕には、その少し雑然とした景色が心地よかった。

    誰かに教えられた日本ではない。

    彼が自分の目で見つけ、自分の手で集めた日本だった。

    クリストフとの鯖料理対決

    厨房へ入ると、目の前に鯖が置かれた。

    クリストフが鯖を捌く。
    僕は、その手元を後ろから見ていた。

    そして今度は、僕が料理を作る。

    同じ鯖を使い、それぞれの考えで一皿を作った。

    言葉で説明するより早かった。

    包丁の入れ方。
    火の使い方。
    味の重ね方。
    素材のどこを見ているのか。

    料理人は、料理を見れば分かる。

    僕はクリストフの料理を食べた。
    クリストフも、僕の料理を食べた。

    勝ち負けを決めるための対決ではなかった。

    けれど、互いに相手を見ていた。

    何を作る料理人なのか。
    何を大切にしているのか。
    一緒に仕事ができる人間なのか。

    あれは、鯖料理対決だった。

    そして、今になって思う。

    あれは僕たちのオーディションだったのだろう。

    僕だけが試されていたのではない

    僕は、自分の技術を見られていると思っていた。

    けれど、僕もまたクリストフを見ていた。

    日本料理を、形だけで扱う人ではないか。
    日本という名前だけを使う人ではないか。
    料理に対して、本気なのか。

    クリストフは、流暢な日本語を話すわけではない。

    僕も、フランス語で料理を語れない。

    それでも、不思議と分かった。

    この人は、日本料理を借りているのではない。

    日本を好きになり、自分の人生の中で育てている。

    だから僕も、自分の料理を隠さなかった。

    高のの料理を、そのまま見せた。

    料理人同士の合格

    鯖料理対決の結果を、誰かが発表したわけではない。

    合格とも、不合格とも言われていない。

    それでも、その日から僕たちの距離は変わった。

    記念写真を撮り、親指を立てた。

    あの一枚は、料理対決が終わった後の写真に見える。

    けれど今の僕には、料理人同士が互いに合格を出した瞬間に見える。

    Robatoで満席にできるか。

    それが2024年に掲げた、僕のリベンジだった。

    しかし、その先に待っていたのは、売上でも、評価でもなかった。

    一人の料理人との出会いだった。

    クリストフとの出会いによって、マルセイユは仕事をする場所から、帰ってくる場所へ変わり始めた。

    次は、クリストフの家へ

    Koishiでの鯖料理対決を終えた僕たちは、次にクリストフの家へ招かれる。

    レストランの厨房ではない。

    仕事から離れた、彼の暮らす場所。

    そこでオスギが望んだのは、フランス料理でも、日本料理でもなかった。

    カルボナーラだった。

    そして、僕たちは愛犬マジと出会う。

    料理人として始まった関係が、人と人との関係へ変わっていく。

    僕たちは、まだ知らなかった。

    この男との出会いが、その後のフランス活動を支える大きな柱になることを。

    次回、フランス活動記⑩。

    クリストフの家へ。
    オスギのカルボナーラと、愛犬マジ。

  • 油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    油結び――名前のない試みから生まれた、十割蕎麦の新しい結び

    フランスの蕎麦粉と、フランスの水で、十割蕎麦を打ちたい。

    油結びは、その夢から始まった。

    小麦粉を加えず、蕎麦粉100%で打つ。

    日本から蕎麦粉を持って行くのではない。

    その土地で育った蕎麦を、その土地の水で結ぶ。

    それが、僕の考える「地蕎麦」である。

    ■2023年、帰りの飛行機で決めたこと

    2023年、フランスでの活動を終え、日本へ帰る飛行機の中で、僕は次の挑戦を決めていた。

    次は、フランス産蕎麦粉100%と、現地の水だけで十割蕎麦を打つ。

    日本の蕎麦粉を持って行って打つのではない。

    フランスの土地で育った蕎麦を、フランスの水で結ぶ。

    粉も、水も、空気も違う。

    日本で打つ十割蕎麦と、同じようにはいかないだろう。

    それでも、小麦粉には頼りたくなかった。

    帰りの飛行機の中から、次の試行は始まっていた。

    ■2024年、湯捏ねで挑んだ

    2024年、僕はフランス産蕎麦粉100%の十割蕎麦に、湯捏ねで挑んだ。

    日本にいるときから湯捏ねを繰り返し、フランスでも実践した。

    ロバートでの二週間。

    ジャパンエキスポSUD。

    熱の力を借りれば、フランス産蕎麦粉100%でも麺としてつなげることができた。

    湯捏ねは、間違いではなかった。

    フランスの蕎麦粉に向き合うために必要だった、大切な技術である。

    けれど、打てることと、その蕎麦粉を十分に活かすことは同じではなかった。

    熱を利用すれば、麺はつながる。

    その一方で、蕎麦の香りや、粗挽き粉のザクザクした力を、十分に残せていないように僕は感じた。

    湯捏ねを否定したのではない。

    湯捏ねで打てたからこそ、次の疑問が生まれた。

    熱を使わず、小麦粉も加えずに、フランスの蕎麦粉を結ぶことはできないだろうか。

    ■フランスで出会った、柔らかなパン

    2024年のフランスで、僕は柔らかなパンに出会った。

    「なぜ、こんなに柔らかいのか」

    そう尋ねると、返ってきた答えは、

    「バターの量だ」

    だった。

    その言葉が、帰国する前から頭のどこかに残っていた。

    油脂は、生地を変える。

    ならば、小麦粉を使わない十割蕎麦にも、油脂を利用できるのではないか。

    まだ「油結び」という名前も、明確な方法もなかった。

    ただ、その発想の輪郭は、フランスで生まれ始めていた。

    ■名前のない試み

    帰国後、僕は油を使った蕎麦打ちを試し始めた。

    最初から、油と水を攪拌する現在の方法だったわけではない。

    まず、水回しを終え、菊練りをしたあとの生地を、油のついた手で撫でた。

    角出しをした生地の表面も、薄く油で撫でた。

    油で蕎麦を固めようとしたのではない。

    粗挽きの十割蕎麦は、延す途中で表面が乾き、細かなひびが入り、そこから切れてしまうことがある。

    その弱い表面を、油で守ることはできないだろうか。

    油をつけた手で撫でると、生地の表面が落ち着いた。

    延したときの感触も変わった。

    粗い蕎麦粉の粒を残したまま、生地が前へ進もうとする。

    「これは、いけるかもしれない」

    理屈が先にあったのではない。

    最初にあったのは、手に残った感触だった。

    ■油結びの始まりは、粘土と漆喰だった

    僕の頭にあったのは、料理だけではなかった。

    粘土。

    漆喰。

    粘土を扱ったときの感触。

    漆喰の表面を、職人が何度も手で撫でながら仕上げていく姿。

    僕の中には、油が素材の表面を整え、乾燥やひび割れから守るという感覚が残っていた。

    蕎麦の生地も、油のついた手で撫でたらどうなるだろう。

    それが、最初の試みだった。

    粘土、漆喰、そして蕎麦。

    別々に見えていた経験が、少しずつ一つにつながり始めた。

    ■そばがきと、乳化させたいドレッシング

    もう一つの原点は、そばがきだった。

    蕎麦粉と水が変化していく様子を、そばがきを作りながら何度も見てきた。

    さらに料理の中では、油と水分を分離させず、乳化したドレッシングにしたいと考えていた。

    蕎麦粉。

    水。

    油。

    それぞれ別に考えていたものが、頭の中で少しずつ結びついていった。

    油を粉へ直接入れるだけでは、粉全体へ均一に届かない。

    油を水へ入れるだけでも、すぐに分離する。

    それなら、油と水を先に十分に攪拌し、油を細かく乳化・分散させた状態で蕎麦粉へ届けたらどうなるのか。

    そこから、現在の油結びへつながる試行が始まった。

    ■フランスから届いたクルミ油

    2024年の夏、来日したジュリアとミカちゃんから、フランス土産としてクルミ油をもらった。

    オリーブオイルだけではない。

    その土地の油を使えば、その土地の蕎麦と水を結ぶことができる。

    蕎麦粉、水、油。

    それぞれが同じ土地のものであれば、そこに新しい「地蕎麦」が生まれるかもしれない。

    油は、単なる補助材料ではない。

    土地と土地を結ぶ存在にもなり得る。

    その考えが、少しずつ形になっていった。

    ■2024年9月、確信した日

    2024年9月、ガレット職人のまろさんが来日した。

    その頃、僕はすでに、名前のないまま油を使った蕎麦打ちを試していた。

    けれど、公にはしていなかった。

    フランス産蕎麦粉を使うときには、その土地のオリーブオイルを使うことも一つの演出として話せた。

    しかし、日本の蕎麦粉へ油を使うことには、蕎麦職人として、どこか後ろめたさがあった。

    これは十割蕎麦と言ってよいのだろうか。

    蕎麦から逃げていることにならないだろうか。

    僕は、まろさんに尋ねた。

    「ガレットの生地に、油を入れますか」

    まろさんは、

    「入れる」

    と答えた。

    もちろん、ガレットと蕎麦は違う。

    まろさんと僕の方法も同じではない。

    けれど、蕎麦粉の性質を知るガレット職人も、生地に油を使っていた。

    蕎麦粉と油を組み合わせることは、決して間違いではない。

    その答えを聞いた瞬間、名前のないまま続けてきた自分の試みに、確信を持った。

    2024年9月は、油結びを突然発明した月ではない。

    続けてきた試みに、初めて確信を持てた月である。

    ■2025年も、フランスでは湯捏ねだった

    2025年、僕は再びフランスで十割蕎麦を打った。

    日本にいるときから湯捏ねを繰り返し、フランスでも湯捏ねによる十割蕎麦を実践した。

    熱の力を利用すれば、フランス産蕎麦粉100%でも麺としてつなげることができる。

    けれど、僕の中には、前年から続く違和感が残っていた。

    打つことはできる。

    しかし、もっと蕎麦を活かす方法があるのではないか。

    熱ではなく、別の方法で結ぶことはできないだろうか。

    その思いを抱えたまま帰国した。

    ■冷やした蕎麦湯と油

    帰国後、最初に試したのは蕎麦湯だった。

    前日に蕎麦湯を取り、冷やしておく。

    その冷たい蕎麦湯と油を合わせ、蕎麦粉へ加えた。

    蕎麦湯に含まれる蕎麦由来の成分と、油と水の乳化・分散を利用できないかと考えたのである。

    これは、湯捏ねのように打つときに熱を加える方法ではない。

    冷ました蕎麦湯を使い、油とともに蕎麦粉へ届ける試みだった。

    結果を確かめながら、次第に方法を変えていった。

    そして、蕎麦湯を使わず、水と油を先に十分に攪拌してから蕎麦粉へ加える、現在の油結びへ進んだ。

    ■感覚を、再現できる技術へ

    手で撫でたら、生地の感触が変わった。

    油を加える順番を変えたら、粉への届き方が変わった。

    油と水を先に攪拌したら、油だけを別に入れたときとは違う生地になった。

    そこで、乳化や油脂の分散に関する調理科学の資料を調べた。

    攪拌の方法。

    攪拌する時間。

    油の割合。

    水の温度。

    粉への届け方。

    油を多く入れればよいわけではない。

    蕎麦の香りや食感を損なわず、粗挽き十割蕎麦の結びを助ける範囲を探す。

    感覚から始まった試みを一つずつ確かめ、繰り返すことのできる技術へ近づけていった。

    ■油結びとは何か

    油結びとは、蕎麦粉へ油を直接混ぜ込むだけの方法ではない。

    水と少量の油を先に十分に攪拌し、油を細かく乳化・分散させた状態で蕎麦粉へ届ける。

    その水で粉全体を均一に潤し、粗挽き蕎麦粉100%の生地を結びへ導く方法である。

    現在の記録例では、油100ccと水600ccを攪拌して仕込み水を作っている。

    ただし、蕎麦粉の産地、挽き方、粒度、季節、湿度によって必要な加水は変わる。

    毎日の加水は、粉の状態を手で確かめながら調整する。

    大切なのは、油の量だけではない。

    油と水を先に攪拌すること。

    粉全体へ均一に届けること。

    最後は、自分の手で粉の状態を読むことである。

    油結びは、油で蕎麦を固める技術ではない。

    粗挽き粉の粒を残し、乾燥やひび割れを抑えながら、蕎麦本来の香りと食感を活かすための試みである。

    ■目指している蕎麦

    目指しているのは、細くて喉越しのよい蕎麦ではない。

    黒くて、太い。

    ザクザク噛む。

    蕎麦という穀物を、歯と身体で味わうための蕎麦である。

    粗挽きの粒を消して、均一で滑らかな麺にするのではない。

    粒を残しながら、麺にする。

    油結びは、そのための技術である。

    ■同じ公開例は、まだ確認できていない

    蕎麦粉を使った麺生地へ油を加えた例が、世界にまったく存在しないわけではない。

    海外には、蕎麦粉、澱粉、サイリウム、油、水などを組み合わせたグルテンフリーのバックウィートパスタもある。

    しかし、それは蕎麦粉100%ではなく、油と水を先に攪拌して粗挽き十割蕎麦の水回しに使う方法とも異なる。

    現在確認できる公開資料の範囲では、

    「水と少量の油を先に攪拌し、乳化・分散させた仕込み水で、粗挽き蕎麦粉100%の手打ち蕎麦を打つ」

    という油結びと同じ実践記録は見つかっていない。

    ただし、世界初とは断定しない。

    もし同じ考えへ先にたどり着いた人がいれば、その記録を知りたい。

    先人がいれば敬意を払い、互いの方法の違いを確かめたい。

    それは、油結びの可能性をさらに深めることになる。

    大切なのは、誰が一番かではない。

    いつ、なぜ考え、何を試し、どのような違いが生まれたのかを、日付の残る形で記録することである。

    ■名前のない試みを、歴史に残す

    油結びは、ある日突然生まれたものではない。

    2023年、フランスから帰る飛行機の中で決めた、次の挑戦。

    2024年、フランスで湯捏ねにより打った十割蕎麦。

    柔らかなパンと、「バターの量だ」という言葉。

    帰国後、油のついた手で蕎麦生地を撫でた、名前のない試み。

    ジュリアとミカちゃんが届けてくれた、フランスのクルミ油。

    まろさんから聞いた、ガレットにも油を入れるという答え。

    2025年、再びフランスで続けた湯捏ね。

    帰国後に試した、冷たい蕎麦湯と油。

    そして、水と油を先に攪拌する現在の方法。

    別々に見えていた経験が、一つずつつながって生まれた。

    理屈が先にあったのではない。

    やってみなければ、分からなかった。

    僕は、やった。

    手で触れ、失敗し、切れ方を見て、もう一度打った。

    その積み重ねに、後から理屈が追いついてきた。

    これが、僕の油結びである。

    2025年から、フランスでの蕎麦打ちワークショップでも、現地の蕎麦粉と向き合いながら、この経験を伝えている。

    油結びは完成ではない。

    粉が変われば、答えも変わる。

    土地が変われば、水も油も変わる。

    だから、この物語はまだ途中にある。

    フランスの蕎麦粉。

    フランスの水。

    フランスの油。

    その土地のものを、その土地で結ぶ。

    僕はこれからも、十割蕎麦という一杯の中に、新しい「地蕎麦」を探し続ける。

    【油結びの年表】

    2023年
    フランスから帰国する飛行機の中で、次はフランス産蕎麦粉100%と現地の水で十割蕎麦を打つことを決意する。

    2024年
    フランスで湯捏ねによる十割蕎麦に挑戦。ロバート、ジャパンエキスポSUDで実践する。

    2024年・フランス滞在中
    柔らかなパンについて尋ね、「バターの量だ」という答えを聞く。油脂が生地を変えるという感覚が残る。

    2024年・帰国後
    小麦粉を使わずにフランス産蕎麦粉を結ぶ方法を考え、油を使った試行を始める。菊練り後や角出し後の生地を、油のついた手で撫でる。

    2024年夏
    来日したジュリアとミカちゃんから、フランス土産のクルミ油を受け取る。蕎麦粉、水、土地の油を結ぶ考えが形になり始める。

    2024年9月
    来日したガレット職人のまろさんへ、生地に油を入れるか尋ねる。「入れる」という答えを聞き、自分の試みに確信を持つ。

    2025年
    日本とフランスで、湯捏ねによる十割蕎麦を続ける。

    2025年・帰国後
    前日に取って冷やした蕎麦湯と油を使う方法を試す。その後、水と油を先に攪拌して粉へ均一に届ける方法へ改良する。

    現在
    水と少量の油を十分に攪拌し、乳化・分散させた仕込み水で、粗挽き蕎麦粉100%を打つ「油結び」として記録と実践を続けている。

    【記録】

    油結びによる十割蕎麦打ちの工程、配合、変化は、YouTube、Instagram、Facebookで継続して公開しています。

    YouTube:SOBA TAKANO
    Instagram:亀戸養生料理 高の
    Facebook:亀戸養生料理 鍋蕎麦屋 高の

    検索語:
    油結び
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    油結び 粗挽き蕎麦
    SOBA TAKANO
    フランス産蕎麦粉 十割蕎麦

  • 懐石ではない。護摩蕎麦に込めた「庶民の一膳」

    懐石ではない。護摩蕎麦に込めた「庶民の一膳」

    護摩蕎麦は、豪華な懐石料理から生まれたものではありません。

    かつて日本人の身体と暮らしを支えた、玄米、お新香、めざし、味噌汁。

    その「庶民の一膳」を、現代の蕎麦料理として表現した作品です。

    玄米、お新香、めざし、味噌汁。かつて日本人の身体と暮らしを支えた、庶民の一膳。高のは玄米の位置に「ザクザク噛む十割蕎麦」を置きました。鉄鍋に残った呉汁も、最後の玄米粥まで残さずいただく。護摩蕎麦に込めた、日本料理と命への感謝の話です。

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